「無事に到着!」
「意外と早かったな」

 東京駅から仙台駅まで新幹線でおよそ二時間。どこの駅もさほど変わり映えしないホームへ軽やかに降り立つと、小ぶりのリュックを背負ったわたしは笑顔で振り返る。

「花合わせすっごく楽しかったね。伏黒くん、花札初めてなのに覚えるの早いからびっくりしちゃった。しかも悟くん並みに強いし」
「負け越したのが気に入らねぇ……なんで最後の最後で五光が揃うんだよ……」

 ひどく不満げな表情で呻吟した伏黒くんが、黒のボストンバッグを片手に車両から降りてくる。平日の昼下がりということもあってか、視界に映る人の数はまばらだった。旅客や駅員たちがどこかのんびりとした様子でホームを行き交っている。

「この前も言ったけど、わたし、運は良いんだよ?」
「天文学的確率を“運が良い”の一言で済ませんな」
「札も役もなんとなく覚えただろうし、次はこいこいだね」
「……負けねぇ」

 素っ気なく言い放ち、愛想のない顔でホームを歩き始めた彼の背を慌てて追いかける。律動的な歩調で改札口を目指す彼を、やや後ろから覗き込むようにして尋ねた。

「あれ?意外と負けず嫌い?」
「二十五点の馬鹿に負けんのが気に喰わねぇだけだ」
「再テスト合格したのにまだそれ言う……」
「夜蛾学長の出題ミスがなけりゃ今ごろ東京で補習だったくせに」

 しかし伏黒くんはこちらを一瞥もせず口早に吐き捨てる。痛いところを突かれたわたしは唇をぴったりと閉じた。もう何も返す言葉がなくて。

 呪術史の再テストは不合格だった。合格点まであと一問。渋る伏黒くんを巻き込み、そのうえ徹夜にまで付き合わせて朝まで勉強したというのに、ほんの僅かのところで手が届かなかったのだ。悔しかったし、情けなかった。伏黒くんにただただ申し訳なかった。

 夜蛾学長は七十五点の赤文字を涙で滲ませたわたしに、「約束は約束だ」と無慈悲な声できっぱりと告げた。ずっと黙っていた伏黒くんは横から問題用紙と答案用紙を奪うと、やがて夜蛾学長をまっすぐ見据えて淡々と述べた。

「設問九の答えは菅原道真でも正解だと思います。この問い方なら習合していても構わないという意味にも取れませんか?」
「……ほう?私の誤採点だと言いたいわけか」
「そういうわけじゃありません。ただこの問い方では不親切だと思っただけです」
のために粗探しとは伏黒らしくもない……が、そのらしくなさに免じて今回は私の誤採点としてやろう。、五点プラスだ。堂々と仙台へ行ってこい」

 あのときの伏黒くんの安堵した様子を思い出すだけで、うれしくなって勝手に頬が緩んでしまう。当の本人は「お前再々テスト受けるつもりだったろ。二徹は勘弁してくれ」と理由を語ったけれど、本当はうんうん唸りながら一晩中勉強していたわたしを簡単に見捨てられなかっただけだろう。なんだかんだ言って、伏黒くんはとても優しいから。

 仙台行きの後押しをしてくれた伏黒くんは、こちらに怪訝な視線を寄越すと、「何にやにやしてんだ」と冷めた声音で呟いた。まるで宇宙人でも見るような目に肩をすくめて、わたしは話題をがらりと変える。

「まずは貸し倉庫へ向かうんだよね?」
「そうだ。夜になり次第、杉沢第三高校で特級呪物“両面宿儺の指”の回収を行う」
「そして明日が一家心中の調査……」
「何もなければな」
「えっ、何かあるの?」
「夜蛾学長の提案とはいえ、俺たちに直接指示を出してんのはあの五条先生だぞ。俺たちは四月からずっとあの人の手の上で間抜けに踊らされてるんだ。警戒して当然だろ」
「それはたしかにそうかも……」

 げんなりした様子の彼に続き、自動改札機に切符を通して仙台駅を出る。東京とはまた違った街の景観に感嘆する間もなく、黒い背中は迷うことなく先へ進んでいく。わたしは脳裏で駅周辺の地図を描きながら、彼の向かわんとする方角とは違う方角へと歩き出した。

「おい。タクシー乗り場、そっちじゃねぇぞ」
「貸し倉庫に行く前にちょっとだけ寄り道したいの。ここから少し行ったところに美味しいパン屋さんがあるらしくて」

 伏黒くんはその場で直ちに足を止めた。眉根をきつく寄せたまま、わたしの顔に大きな穴を開けんばかりの勢いで厳しく睨んだ。殺気にも似た空気に思わず後ずさりする。

「えーっと、伏黒くん?」
「……言いたいことはもうわかるな?」
「うん、わかる!よくわかる!わかるんだけど……でもお願い、五分だけ!」

 頭を垂れつつ両手を合わせて懇願すると、やがて伏黒くんは深い深いため息をついた。律動的な足音が近づき、おそるおそる視線を持ち上げれば肩を落とした彼と目が合う。諦念に溺れた双眸がこちらを見ていた。

「五分で着くのか」
「ちょっと無理かも」

 完全に表情筋が死んだ伏黒くんを宥めながら、一列に立ち並ぶビル沿いの歩道を進む。SNSで話題のパン屋は、雑居ビルの一階に店を構えているらしい。

「一泊二日だがこれは出張だ。旅行じゃないって本気でわかってんのか?」

 街路樹を挟んだ向こうの国道を、何台もの自動車が忙しなく行き交う。わたしは足元に視線を落として、小さな声でぼそぼそと言い訳を並べた。

「……だって仙台初めてだから。というか、そもそも東京近郊から出たこともなくて」
「出たことがない?……小中の修学旅行は?」
「行ったことないよ。ついでに言うと遠足もないかな」
「新幹線も?」
「うん、今日初めて乗ったんだよ!新幹線ってすごいんだね。広いし揺れないし、そのうえスマホも充電できるなんて最高だよ」
「……まさか外泊もか?」
「そう。全部初めてだよ」

 驚くのも無理はないだろう。全く同じ反応を今まで何度も見てきたし、これが心配を煽るような内容だということもよく知っている。何も知らない友だちや担任に、家庭環境に何か問題があるのではないかと勘繰られたことは一度や二度ではないのだから。

 瞠目する伏黒くんにいらぬ気を遣わせぬよう、口角を持ち上げて茶目っぽい笑みを作る。

「だからね、これがわたしにとって初めての旅行なんだ。ちょっと不安もあるけど、すっごくワクワクしてるんだよ?」

 そのあとすぐに「あ、旅行じゃなかった。出張です」と訂正していると、伏黒くんが気まずそうに鼻先を背けた。「先に言え……」とほとんど聞き取れないような声音で独り言ち、呆れ返った視線でわたしのリュックをなぞる。

「女にしてはどうも荷物が少ねぇと思ったんだよ……」
「えっ、もっと必要なの?」
「津美紀は――姉貴はもっと持って行ってた。一泊二日でも」

 その発言にわたしは目を瞬いた。

「伏黒くん、お姉さんいるの?」
「……まぁな。遠足だろうが旅行だろうが、荷物が馬鹿みたいに多かった」
「どうしよう……急に不安になってきた」
「足りねぇなら買えば――って、どうした?」

 怪訝な声音で問いかけられ、そこで初めて自分の足が止まっていることに気づいた。「忘れ物でもしたのか?」と重ねられた質問は何故かひどく不明瞭に響く。わたしは両耳を手のひらで覆いながら、何度も激しくかぶりを振った。

「……なんか、変だよ」
「変?……何が」

 耳のずっとずっと奥のほうで何かが鳴っている。そのひどく小さな音があらゆる音を妨げていた。伏黒くんの声音も、自動車のエンジン音も、歩行者たちの笑い声も、何もかも。

「耳鳴りっていうか、これ……」

 ――雨の音だ。

 地面を激しく打ち付ける驟雨の音が聞こえる。しかしその音を否定するように歩道はからりと乾いていた。周囲を見渡しても傘を差して歩いている人間はひとりもいない。雨など降っていないのに、たしかにずっと雨の音が聞こえているのだ。

 妙な胸騒ぎがした。確認するように空へと視線を持ち上げて、わたしは言葉を失う。

「……え」

 二棟向こうの雑居ビル。その屋上に人が立っている。最初は見間違いかと思った。青い花束を抱えたスーツ姿の男が、落下防止用の高いフェンスを越えた先に呆然と立ち尽くしていたから。

 まるで男に寄り添うように、フェンス越しの安全圏にもうひとりいた。しかし顔を隠すように深くフードを被ったそれは人間ではなかった。人間ではないとわたしの本能が激しくそう叫んでいた。

 フードを被ったそれは漫然とこちらを見下ろすと、口元にひどく優しげな笑みを浮かべる。穏やかで温かい、心から愛おしむような微笑。

 慈母にも似たそれに怖気を感じた瞬間、男は花束を胸に抱いて――屋上から飛び降りた。

 無意識だった。つま先が地面を蹴った感触を捉えたのは、身体が前のめりになった直後だった。歯を軋らせると、縋るように祈りながら懸命に駆けた。

 ――神様!仏様!

 男の身体が真っ逆さまに落ち、しかしすぐに雑居ビルの袖看板に勢いよく直撃する。意識を揺らすような鈍い轟音が響き渡った。看板の角にスーツの裾が引っかかったものの、肉体の重みと重力には耐えられなかったのだろう、男は一呼吸遅れてさらに落下する。

 飛び降りてすぐ地面に直撃しなかった、それだけで充分だった。すでにわたしの瞳は頭上に迫る男の身体を間一髪捉えている。

 伏黒くんのように落下する人間をうまく受け止められるほど、動体視力や運動神経が良いわけではない。端から受け止めようという気はさらさらなかった。クッションの役割を果たすことだけを考えていた。

 わたしが下敷きになるように身体を滑り込ませる。奥歯を噛みしめた次の瞬間には、衝突の衝撃で身体が跳ね飛ばされていた。

ッ?!」

 上下の感覚が消える直前、悲痛な絶叫を聞いた気がした。息もできなかった。男ともつれ合うようにして、身体がアスファルトに激しく叩き付けられる。転がった肉体は歩道に停められていた自転車にぶつかって止まり、崩れてきたそれにわたしは下敷きになった。

 どこが痛いのかさっぱりわからないほど、頭ががんがんしていた。小さな苦鳴とともに目蓋をこじ開ければ、視界が赤く染まっている。どうやら額のどこかから出血しているらしい。でこぼことしたアスファルトに散らばるバラの花弁だけが、赤い世界の中で唯一青かった。

っ!」

 響き渡る悲鳴をかい潜るようにして、伏黒くんが駆け寄ってくる。自転車が持ち上げられたのだろう、身体にのしかかる無機質な重みがたちまち消えていった。

「おいっ!大丈夫かっ!」
「わたしじゃなくて……あっち……誰か、いたから……」

 浅い呼吸を繋ぎながら、わたしはビルの屋上を指差す。顔を覗き込む白群の瞳に迷いが生じていた。

「早く……」

 はっと我に返った伏黒くんが、スマホを片手に雑居ビルの中へ駆け出す。

「救急車をお願いします!救急車です!今すぐに!場所は――」

 少しずつ意識がはっきりとしてきて、ひどく痛んでいるのは胸だと気づいた。あまりの痛みに目の奥まで焼けてしまいそうだった。

 すぐ目の前に男がうつ伏せで倒れている。おぼろな光が浮かぶ弱々しい視線がこちらを向いた。瞳の焦点を懸命に合わせようとしている。青白い手がわたしの手を縋るように捕らえ、助けを求めるような手付きで心許なく握りしめた。

 わたしは男を少しでも安心させようと、その力のない手を優しく握り返した。痛みに顔を歪めそうになるのを堪えて、強張る表情筋を叱咤しながら非の打ち所のない微笑を拵えていく。

「大丈夫ですよ。すぐに救急車が来ますから」

 救急車がやってくるまで、囁くような優しい声音を何度も何度も押し出し続けた。



* * *




 飛び降りた男とわたしは、すぐ近くの杉沢病院に運ばれた。三十代半ばだという男は、あの高さから落ちたというのに、奇跡的に打撲と右足の骨折だけで済んだらしい。きっと今日は神様と仏様の機嫌が良かったのだろう。

 一通りの検査と簡単な治療を終えたわたしを待ち構えていたのは、しかつめらしい顔つきの警察官ふたりだった。悪事を働いたわけでもないのに咄嗟に身構えてしまう。しかしすでに呪術高専から連絡が入っていたのだろう、彼らは必要最低限の事情聴取を済ませるとあっさりとわたしを解放した。

 閑散とした病院の廊下をとぼとぼ歩きながら、外来受付のある一階総合待合へ向かう。道中見つけたスマホ使用可の小さな待合室で、伏黒くんに連絡を取った。壁に貼られたポスターの“通話はご遠慮ください”という文言からスマホの画面に視線を移し、アプリにメッセージを入力していく。

 “杉沢病院の総合待合で待ってます”
 “今警察。すぐ行く”

 十秒も経たぬうちに返ってきた返信に彼の無事を確認し、すぐに目を瞬く。スマホに表示されている時刻はもう五時を過ぎていた。廊下の窓から見える空はすっかり茜色に染まっている。

 貸し倉庫に向かう時間はあるだろうか。この杉沢病院から貸し倉庫までの道のりはもちろん、そもそも杉沢病院が仙台市のどの辺りにあるのかもよくわかっていない。

「貸し倉庫へ行かないと目的が……って、あれ?!」

 ひと気のない廊下の突き当たりまで来て、はたと立ち止まる。真剣に考え事をしていたせいだろう、ようやく自分が迷子になったことに気づいた。

「……ここ、どこだろう」

 行き先を示す看板を探して視線を彷徨わせたものの、それらしき表示はどこにも見当たらない。ただ、等間隔に並ぶ扉の隣に掲げられたプレートには部屋番号と名字が記されていた。どうやらいつの間にか入院病棟に迷い込んだらしい。

 院内案内図をしっかり確認せず歩いて来たのが悪かった。肩を大きく落としながら、もと来た道を引き戻り、曲がり角を曲がろうとして――

「うおっ?!」
「わぁっ?!」

 出会い頭に誰かと衝突したわたしは、小さな悲鳴とともに床に尻餅をつく。胸に激しい痛みが走り、深く頭を垂れて奥歯を軋らせた。溢れそうになる呻き声を何とか押し留めたところで、慌てた声音が耳朶を打った。

「すんません、大丈夫っスか?!」
「あ、はい……全然、大丈夫です」

 正直に白状すれば全然大丈夫ではなかったけれど、前方不注意だったわたしに非がある。痛みを訴えることなどできるはずもなかった。

 揺れる視線を持ち上げれば、髪を明るく脱色した少年と目が合った。一重の涼しい瞳には心配そうな色がくっきりと浮かんでいる。パーカー姿の背恰好から見て中学生か高校生だろう。抱き起こそうと手を伸ばす少年に甘えるようにして、わたしはゆっくりと膝を伸ばした。

「すみません。ありがとうございます」
「ぶつかった俺が悪いし、それは当然なんだけど……」
「……どうかしましたか?」

 言い淀む少年を促すように首を傾げると、黄金色の双眸がぱちぱちと瞬いた。

「あのさ、それってコスプレ?」
「せ、制服なんです……」

 巫女装束じみたこの制服は断じてわたしの趣味ではない。道行く人から無遠慮に浴びせられる好奇の目にはやっと慣れてきたものの、面と向かって問われるとまだ動揺してしまう。身体が茹で上がったように熱かった。

 込み上げる羞恥に顔を背けると、少年は困ったような笑みを浮かべて頬を掻いた。

「あー……嫌な思いさせたならごめん。なんつーか変わった格好だなと思って。この辺りじゃ見かけないけど、市外から来たの?」
「……はい、東京から。仙台に用があって」
「見舞いとか?」
「そんな感じです」
「そっか。良いなぁ東京!大都会じゃん!」

 人好きのするその明るい受け答えから、眼前の少年への警戒心がするりと解けていく。ふと思い立ったわたしはリュックの中から手書きの地図を取り出して、おそるおそる質問を紡いだ。

「あの、つかぬことをお聞きしますが……この近くに住んでる方ですか?」
「俺?うん、まぁそうだけど」
「道がわからなくて……この場所なんですけど」

 地図に記された赤い丸印を見つめると、少年はきょとんと呆けた顔になる。

「あ、ここ例の貸し倉庫じゃん」
「知ってるんですか?」
「知ってる知ってる。だってココ俺ン家の近所だし。けどさ、おねーさんこんなトコに何の用?本当は死体の噂でも確かめに来たとか?」
「……死体の噂?」
「あれ、違った?」

 不思議そうな光を瞳に灯したまま、記憶を辿るように言葉を継いでいく。

「先月だったかなぁ……ココに警察がすっげー来たんだよね。そのときに死体が出たとか出ないとか、近所でちょっとした噂になってさ。結局どうなったのかはよく知らねぇけど、やっぱり四月になんかあったんじゃないかな」
「やっぱりって?」
「俺さ……目撃者なんだ」

 その勿体ぶるような物言いに、わたしは思わず唾を飲んだ。少年は周囲を警戒するように首を左右に振ったあと、廊下の壁に身体を寄せた。さも内緒話でもするかのように、手で口元を隠しながら声量を落として続ける。

「たしか四月の半ばくらいだったと思う。爺ちゃんの見舞い帰りで、看護婦さんと話し込んでちょっと遅くなった日だったから……時間は多分、夜の七時か八時だ。あの倉庫から、変な物音聞いたんだよ」
「……変な物音」
「そ。ずるずる、ずるずるって、何かを引きずるような音。中で重い物でも運んでんのかと思って素通りしたんだけど……今思えば、運んでたのってもしかして……」

 四月半ばといえば、お兄ちゃんが死んだころだ。一体どういうことだろう。普通に考えれば、そこにいたのは貸し倉庫の鍵を持つお兄ちゃんだ。新幹線を使えば東京から仙台まで往復約四時間。誰にも気取られることなく、貸し倉庫に足を運ぶことは充分に可能なはずだ。

 しかし何故か胸騒ぎがする。ひどく気分が落ち着かなくて、揉むようにして両手を擦り合わせた。少年に「大丈夫?」と顔を覗き込まれて、ようやく我に返る。

「冷や汗かいてんじゃん。そんなに怖かった?ごめん。ビビらせようとかそんなつもりなくて」
「ううん……大丈夫だよ」
「で、場所だったよな?えーっと、この病院から行くとなると――」

 少年はとても丁寧に貸し倉庫までの道のりを教えてくれた。謎の物音のことで気もそぞろだったけれど、何度か訊き返しながら道を覚えていく。さほど複雑ではないことに安堵した。

「――そしたらポストに辿り着くじゃん?あとはここから十字路を右に曲がって直進すればすぐって感じだな。近くにすっげー吼える犬がいるから、そこだけ気を付けたほうがいいぜ。マジビビるから」
「ありがとう」
「いいって。こんなのぶつかった詫びにもなんねぇし」
「……じゃあついでに総合待合までの行き方も教えてくれませんか」
「おねーさん迷子だったのかよ!」

 そう言いながら、少年は声を上げて笑った。その無邪気な笑みに張り詰めていた気持ちがふっと和らぐ。総合待合までの道筋を聞いたあと、わたしは小さく頭を下げた。

「本当にありがとうございました」
「東京に比べたらアレかもだけど、仙台もすっげー良いところだから美味いものでも食って帰ってよ。じゃあな!」

 殺風景な廊下の真ん中で、互いに手を振って別れた。背中を向けた少年が病室の中へと消えていく。わたしは扉が閉まる音を聞き届けたあと、足早に総合待合へ向かった。