強引を通り越してもはや無茶苦茶な説得に、伏黒恵は呆気に取られていた。しかし必死に掻き口説こうとする声音は真剣そのもので、口早に並べた語句が決してその場しのぎの思い付きではないことを証明する。恵の脳内で、さして古くもない賛辞の記憶が甦った。

「責任感も喧嘩も強いし、勉強もできるし、無愛想に見えるけどすっごく優しいし、おまけに顔もスタイルも良い。びっくりするほどモテる要素だらけだよ。本当に恋人いないの?」

 途端に肋骨の内側がむず痒くなり、逃げるように白群の双眸をから逸らす。視線が絡まぬよう鼻先をやや地面に落とすと、面映ゆさに縁取られた羞恥が引くのを静かに待った。

 杉沢病院での一件以来、はまるで口癖のように恵のことを“モテる”と評する。恵に恋人がいないことをいたく不思議がり、想いを寄せる相手の有無に関心を示し、ときには探りまで入れてくる始末だ。

 無論、好意故の発言ではない。だからと言って、恵の恋愛事情にひどく個人的な興味を持っているわけでもない。

 ただ単に口付けを伴うあの術式のせいだ。横恋慕だ何だと勘違いされることを避けたい一心で、は恵の恋路をずいぶんと気にかけている。

 さも自らの目で見たことのように恵を“モテる”と繰り返すものの、実際にが恵のモテている場面に遭遇したことは一度たりともないはずだ。

 何せ呪術高専に入学してからというもの、伏黒恵はモテない。恐ろしいほどにモテない。だからが恵を“モテる”と形容するのは全く正しくないし、頻繁に口にするそれはもはや嫌味の域に達している。

 とはいえ、の観察眼に問題があるわけではない。

 小・中学時代の恵は決してそうではなかった。好きだの付き合ってほしいだのと告白されたことは一度や二度ではない。色恋にとんと興味がないため記憶は朧げだが、今まで恵が告白を受けた回数は両手では到底数え切れないほどである。

 特に告白の恰好の機会とも言えるバレンタインデーは、恵にとって一年で最も憂鬱な日だった。

 登校から下校まで常に恵の周りには誰かがいて、本命か義理かもわからぬ何かを恵に差し出し続けた。ひとつでも貰って帰ると津美紀が「ちゃんとお返ししないと駄目だよ」といつまでもうるさいので、恵はそれらを受け取ることなく片っ端から突っぱねたのだが。全く欲しくもない物を受け取って、挙句お返しなど面倒にも程がある。

 ド田舎の過疎地域の如く生徒数があまりにも少ない呪術高専に入学したことで、恵は同年代との繋がりが極端に減った。小・中学時代の知り合いと連絡を取ることはおろか連絡先すら知らないため、必然的に恵の交友関係は呪術高専関係のみに限定され、それに比例して告白されることもすっかりなくなった。

 そうは言ってもただ告白されることがなくなっただけで、他人から向けられる好意から切り離されたわけではない。街中を歩いていると遠巻きに憧憬にも似た熱っぽい視線で穿たれたり、すれ違いざまに「え、芸能人?」「うわ睫毛長っ」などと小声で容姿について言及されたり。幼い時分から日常茶飯事だったため今さらどうということはないが、首都東京の人口の多さがそれに輪をかけているのはたしかだった。

 しかし誰も憧れの一歩先へ進もうとはしない。どちらかと言えば一匹狼気質、他者との関わりを強く求めない恵の性格が、静寂を纏った真冬の湖にも似た冷たい雰囲気を常に生む。きっとその取っ付きにくさが人を気後れさせるのだろう。

 環境が変わって、恵は以前よりモテなくなった。それは紛うことなき事実であるし、普段から恵をよく観察していればすぐに気づくことだった。

 とどのつまり、受けた印象だけを取り上げて勝手に決め付けるは、伏黒恵というひとりの人間に踏み込むつもりなど全くないのだろう。好意はあってもその先は求めていない。求められていない。現に緊急事態にかこつけて恵に触れようとしないのがその証拠だろう。恵は情けないほどに触れたくて触れたくて仕方がないのに。

 恵から距離を置いていたいというの本音を真正面から叩き付けられているようだった。たちまち身体に溢れた虚無感が、面映ゆさや羞恥をべったりと塗り潰していく。

 俺がモテなければ術式を使ったのかと問い詰めたかった。が口にするであろうその答えが、決して恵の求めるそれではないことをすでに知っていながら。勇を鼓すこともできぬまま、恵は不貞腐れたような口調でぼそぼそと告げる。

「……が言うほどモテねぇからな」
「多分それ恵くんが気づいてないだけだと思うよ」

 しかしは恵の嘘偽りない言葉をやんわりと否定する。嫌味でも何でもないその柔らかな響きに、恵の指先が僅かに震えた。怜悧な表情に色濃い苛立ちが走る。

 ――気づいてねぇのはだろ。

 口を突きそうになった険を孕んだ言葉を喉奥へ押し込む。何も気づいていないのはのほうではないか。恵は人間関係に多くを求めていないし、有象無象に向けられる好意には端から微塵も興味がない。

 恥ずかしげに淡く紅潮するに視線を送った。恵がモテたくて仕方のない相手は今、目と鼻の先にいることに、一体どうして気づかないのだろう。

「……別にどうでも良い奴にモテたって仕方ねぇだろ」
「それはたしかに……」

 納得した様子では何度も首肯したが、すぐに論点がずれていることに気づいたらしく、説得の糸口を探すようにふらふらと視線を廻らせ始めた。どうやら全く譲る気はないようだ。やがて何かを閃いたように、は前のめりになって再び恵を説き伏せようと試みる。

「恵くんよく考えて。ここには知り合いがいっぱいだよ?ほら何て言うか、へ、変な勘違いとかされたら、恵くんに迷惑が――」
「……それくらい、別に」

 遮るように押し出したそれは本心だった。意中の相手と恋仲に間違えられることの何が迷惑だと言うのだろう。

 恵が途端に嫌悪感を示すとでも思っていたのか、は大袈裟に仰け反って「別に?!」と頓狂な声音で繰り返した。そんなに驚くようなことかと疑問を浮かべたのも一瞬で、恵ととの間に横たわる“樹”の存在が恵に現実を突き付ける。

 が好きだと気づいたとき、恵はひどく戸惑った。きっとも同じなのだろう。相手が自分に対して好意を抱くはずがないと思い込んでいるなら、尚更。

「緊急事態だからな。割り切る」
「そ、そっか……」

 抑揚を欠いた適当な理由には小さく頷いたものの、術式を使用しない意思は固いようだった。恵は短く息を吐く。そろそろ頃合いだろう。これ以上話を長引かせてもの傷に障るだけだ。

 折れる決意の付いた恵は、ようやく顔を持ち上げた。大きな渦と化した複雑な感情を皮膚一枚の下に押し込めて、先の提案を取り下げるために淡々と言葉を紡ぎ始める。

が勘違いされて嫌だって言うなら――」
「嫌なわけないよ!全然嫌じゃないよ!き、緊急事態だから仕方ないね?!」

 慌てふためいた響きで口早に遮られた恵は唖然とする。眼前のは頬を鮮やかに紅潮させ、下手くそな苦笑いを浮かべていた。おそらく恵を嫌っていると勘違いされたくないがための否定だろう。

 ――……なんで。

 恵に見つめられたが笑みを深くする。どこか照れたようなそれが堪らなかった。

 ――そこは嘘でも嫌だって言えよ。

 恵の誘導に乗って嫌だと言えば、の思い通りになったのに。恵だってこのまま諦めも付いたのに。

 馬鹿正直なに肋骨の内側が疼く。恵への好意が駄々漏れのに辛抱ならなくなる。湧き上がった衝動が瞬く間に恵の理性を灼いていく。

 ああもう駄目だ、引いてやれない。が恵相手に一体どんな顔で術式を使うのか、この目で確かめたくて仕方がなかった。の傷に障るともうひとりの自分が声を上げるが、呪力を受け取って速攻で片を付けるとすぐに真正面から言い負かしていた。

 恵は首をもたげた欲を隠すように表情を引き締めた。呪力のためだ、この切迫した状況を一刻も早く打破するためだと、腹の内でごちゃごちゃといらぬ御託を並べて。

「だったら」

 不景気な渋面で恵が一歩大きく踏み込めば、朱の差したかんばせがたちまち蒼白と化した。焼却炉にべったりと背中を張り付けると、は焦燥に満ちた双眸を宙に這わせて独り言ちる。

「で、でも、わたし、は……」

 過分な迷いを含んだその言葉に僅かな可能性を見出す。我慢できるはずもなかった。恵が駄目押しの一歩をさらに踏み出そうとしたそのとき、

「……あ、あれれ~?!おかしいぞ~?!」

 耳馴染みのある声音とともに、妙に芝居がかった仕草でが大きく首をひねる。警察もお手上げの難事件を次々と解決する少年探偵の顔が、恵の脳裏にぱっと浮かんだ。

 恵は焼却炉のそばに横たわる炭化した遺体を一瞥する。たしかに奇怪な殺人事件は起こったものの、容疑者どころか事件の犯人はすでに割れている。遺体の身元は不明ではあるが、家入に任せておけば何ら問題はないだろう。身元がわかれば殺害の動機も自ずと見えてくるはずだ。悠仁の部屋から見つかり野薔薇が破壊した、あの呪物“蠱毒”との関係も。

 つまり事件はもう解決したようなもので、少年探偵の出番はどこにもない。そもそもさほど難しくもないテストでほとんど赤点を連発するの頭脳は、大人というより子どものままである気がしてならないのだが。見た目は大人、頭脳は子ども――かの有名な少年探偵とは全くの真逆だろうに。

 ――じゃ事件は迷宮入りだろ……

 呆れ返ったのはほんの一瞬だった。普段であればに話を合わせたが、今は緊急事態に加えて冗談に付き合うだけの精神的余裕は皆無だ。だからと言って無視をするのはさすがに心苦しい。

 無駄にクオリティの高い声真似には一切触れず、恵は冷たい声音で端的に尋ねた。

「どうした」
「ほ、ほら、あの声が聞こえなくて!機械音声!きっと条件が揃ってないんだよ!」

 上擦った声で紡がれた指摘に、恵の片眉がやや持ち上がる。

「……大義名分か」
「そう!そうそうそう!大義名分!」

 首が落ちそうなほど何度も頷いたは嘆かわしげに天を仰ぐと、

「恵くんに呪力を渡したかったのにな~!呪力いーっぱいあるのに残念だな~!どうしてなの神様仏様~!ああとっても残念だな~!」

と、心の底から安堵した表情で白々しく叫んでみせた。何故ミュージカル調なのだろう。ここは舞台の上ではないと突っ込む以前に、どこかうれしそうなの態度に恵は苛立ちを覚える。

 そこまで言うなら今すぐ寄越せと変な負けん気が湧いたし、術式やら大義名分やらそんなものは完全に無視してこの場で口付けてやろうかとさえ思う。

 無意識にきつく睨み付けていたのだろう、白群の視線に気づいたが困ったように眉尻を下げた。「……本当に残念だと思ってるよ?」と小さく首を傾ける。

 好意をたっぷり塗したその一言に毒気を抜かれ、恵はあっという間に反抗心が失せた。無理に迫ってに嫌われるほうが嫌だったし、のちのち罪悪感で恵の情緒が死ぬのは目に見えている。

 ――……もういい、何でも。好きにしろ。

 澱にも似た諦念を吐き出すように嘆息した恵は、抑揚に欠いた声音で指示を出した。

「合図したら“帳”を下ろせ」
「承知仕った!」

 命を受けた武士の如くが元気よく返事をした。孤軍奮闘する玉犬が満象から数メートルの距離を空けた頃合いを見計らい、恵は素早く術式を解く。まるで液体にでも化したかのように玉犬の躯体が黒影に落ちるや、鋭利な響きが真夏の炎天を深々と穿った。

!」
「うん!」

 夏空を指すように左の人差し指と中指、そして親指の三本を揃えて立てると、目蓋を軽く伏せたが口ずさむようにその呪文を唱えていく。

「――“闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え”」

 刹那、紺碧の空が大量の黒泥を吐いた。強い粘り気を含んだ黒はひどく歪に干天を侵蝕していく。大きな入道雲の浮かぶ青はあっという間に黒く塗り潰され、辺りはまるで時間が巻き戻ったような深い暮夜に包まれる。

 首を高く持ち上げてその様子を確認していた恵が満象に視線を戻そうとして――はたと気づく。僅かに開いた唇の隙間から小さな声音がこぼれ落ちた。

「……?」

 視界の端に映っていたはずの姿がない。瞬間的に噴いた焦燥に急かされ恵が顔を動かせば、十数メートル離れた先でが遺体のそばに膝を付いている。おそらく“帳”の使用と同時に駆け出していたのだろう。恵は思わず舌打ちする。

 ――なんで大人しくしてられねぇんだよ!

 ゾウは視力こそ優れないもののその聴力はずば抜けており、人間の可聴域ではない20Hz以下の超低周波でさえ容易く聴き分ける能力を持つ。さらに地面を伝う微弱な振動を足の裏から拾い上げることも可能で、何十キロも離れた場所の雨や落雷を敏感に察知することから“天気を予知する動物”と称されることもあるほどだ。ゾウの持つ身体的特徴を当然、式神“満象”も持ち合わせている。満象はそれに加えて呪力の察知も得意ときている。

 つまり、それは。

 地面を激しく踏み鳴らす轟音が響く。反応が一拍遅れながらも恵は強く地面を蹴った。

 はきっと“満象は夜目が効かないから安全だ”と判断して動いただけだろう。激しく損傷した遺体を自らの手で運び出すために。じっとしていろと念を押さなかった自分のせいだと恵は己を責めた。恵は呼吸も忘れて全力で疾駆する。

 満象は駆けた勢いそのままに突進を仕掛けるつもりらしい。小柄ながまともに体当たりを喰らえば無事では済まないどころか命の危険すらある。恵は急いた。異音に気づいたが振り返ったときにはもう、その巨大な影は目と鼻の先まで肉薄している。

 間に入って庇ってやれるほどの膂力は恵にはない。規格外にも程があった悠仁とは違うのだから。上級生を取り込もうとしていた二級呪霊をたった一蹴りで吹っ飛ばしてみせた、虎杖悠仁の果敢な姿が脳裏を過ぎる。

 悠仁は恵のどうしようもない片思いを揶揄しながらも、その動向をずっと気にかけていたようだった。「伏黒と、お似合いだと思うけど」と口癖のように呟いて。「、甘いモノが好きなんだって。今度誘ってみれば?」とたびたび余計なことまで口にして。

 未だ拭い切れぬ後悔が恵の足を限界の先へ運ぶ。立ち上がろうとしていたに飛び付くや、強張る身体をきつく抱え込んで地面を転がった。奥歯を軋らせながら全身を使って衝撃を殺す。死の感触は紙一重のところで背中の後ろを通り抜けていった。

 地震じみた大きな揺れのせいで、天地のひっくり返った視界が安定しない。檻のように固く閉じた胸の辺りから小さな声音が響く。

「恵く――」
「怪我は?!」

 咄嗟に叫んだ恵に、は躊躇いながらも素直に答えてみせた。

「……水膨れが全部破れて、それで、恵くんの服を汚しちゃって……ごめんなさい……」

 申し訳なさそうな声音に罪責感が湧く。しかし謝罪が口を突くより早く、満象の気配を察知した恵がを抱えたまま上体を起こした。方向転換した満象が勢いよく駆け出している。恵は両腕をぐっと前へ伸ばすと、体重を預けるように寄り掛かる華奢な背中の向こうで大きく手を打ち鳴らした。

「――“玉犬”!」

 主の呼びかけに応じるように、走り出した巨躯の黒影から闇に濡れた一体の式神が飛び出す。まさかその至近距離から奇襲されるとは露にも思わなかっただろうし、いかに聴力が優れていようとその迫撃には反応しきれまい。

 玉犬の捲れ上がった上顎から白い凶器が覗いた。不意を突かれた満象の右前足の付け根に、禍々しい輝きを灯した鋭い牙が抉るように穿たれる。

 分厚い皮膚を喰い破ったそれに満象が甲高い悲鳴を上げた。力が抜けた様子で前足から崩れ落ちたときには、玉犬の牙はその喉元に深々と突き刺さっている。

 しかし残った力を振り絞るように、満象は長い鼻先から大量の水を噴いた。悪足掻きに負けじと玉犬は首根っこに強く深く喰らい付いた。奔流となった水は恵とを頭から丸ごと飲み込む。をきつく抱きしめる恵の背中に、熱傷を受けた細い腕がたしかに絡み付いていた。

 水が引いたときには、満象の姿はどこにもなかった。

 主人のすぐそばに折り目正しく座った玉犬が、ひどく自慢げな様子で尻尾をぶんぶん振っている。調伏の儀が無事に終わったのだろう。濡れすぼった玉犬の頭を撫で付けながら「よくやった」と恵が褒めて労うと、水を含んで細くなった黒い尻尾は喜びを隠し切れない様子でますます大きく揺れた。

 術式を解いた恵は、細くて長い溜め息をゆっくりと吐き出した。

「……やっと終わった」

 その言葉に手を引かれるように、徐々に“帳”が上がっていく。盛夏の碧落が再び恵の視界を眩しく照らし出す。濡れた髪も服もあっという間に乾くような気がした。凄まじい疲労感に襲われながらも、恵は全く微動だにしないの顔を覗き込んだ。

、大丈夫か?」
「……恵くん、どうしよう」

 不安げに揺れる蚊の鳴くような響きに眉をひそめる。

「どうしようって、何が」
「……腰」
「腰?」
「…………こ、腰が……抜けた、みたいです……」



* * *




 ひとりで歩けなくなったを、結局恵が医務室まで背負って運ぶことになった。腰が抜けた理由については何も言わなかったが、顔を赤らめた様子に恵が関係しているらしいことは一目でわかった。頭を下げて何度も謝るに、恵は怒りなどこれっぽっちも抱くことはなかった。

 腕に力を入れると熱傷の鋭い痛みが走るらしく、は恵の肩に引っかけた両腕を重力に任せてぶらりと垂らしている。つまり己の全体重を恵の背中に惜しみなく預ける体勢であり、言わずもがなとの性差を嫌でも感じ取ってしまう。肌や衣類が即座に乾き始めたとはいえ、薄着であることがそれに拍車をかけている。

 恵の複雑な胸中など知る由もなく、は視線を落としてぎゃんと吼えた。

「絶対飲み込んじゃ駄目だよ!怒るからね?!」

 緩慢な動きで隣を跳ねて歩く蝦蟇の口には炭化した遺体が収まっている。蝦蟇はの言葉を聞いているのかいないのか、全くの無反応で遺体を運び続ける。

「唾液で溶かしても怒ります!」と式神相手に口うるさく注意するに、恵は何も言わなかった。否、何も言えなかった。薄い生地越しに伝わるふたつの柔らかな感触に激しく理性を灼かれているせいで。

 頼むからそこで動くなと内心乞い願いながら、恵は倦怠感に満ちた足を一歩ずつ前へ踏み出した。