の気持ちはうれしいよ。でも」

 わかりやすいほど優しくて落ち着いた声だった。だからその瞬間、わたしは初めての失恋を確信した。“でも”の後に続く言葉なんか聞きたくなくて、精一杯の背伸びをして少しだけ強引にキスをした。ひび割れてしまった初恋を元通りにするみたいに。そんなことできないとわかっていながら。

 唇を離すと、 くんはやっぱりわたしの気持ちを拒んだ。わたしが納得できるよう、たくさんの言葉を尽くして。ほとんど意味がわからなかったけれど、うんうんと小さく頷いて適当に相槌を打っておいた。意味がわかってもわからなくても同じだった。 くんの恋人になれない事実に変わりはなかったから。

「大人になって視野が広くなれば、本気で誰かを好きになれる。呪いが解ける日がいつかきっと必ず来るはずだから」

 空しすぎて泣きたくなった。わたしの気持ちがちっとも本気じゃないと言われているようで。子どもの戯言だと払い除けられているようで。

 早く大人になりたい。それだけを強く願った。そうすれば くんに手が届くのだと思いたかった。鼻の奥につんとした痛みが走る。気づかないふりをすれば、きっとどこかで報われるのだと信じたかった。

 深くひび割れた初恋を捨てられないまま、わたしは くんの柔らかな笑顔を見つめ続ける。



* * *




「――だから何回も言ってるでしょ。優しいことばっか言う男は他の子にも平気で同じこと言ってんだって。は騙されたんだよ、口先だけのクズ野郎に」
「やっぱり悟くんが言うと説得力が違うね」
「……いや僕は違うからそんな穏やかな目で見つめないでくれる?」

 リビングのソファで膝を抱えるわたしに寄り添う悟くんは、伊地知さんが持ってきてくれたマグカップをふたつ受け取った。ピンクとブルーの色違いのマグカップから、甘ったるいココアの香りが仄かに漂う。悟くんは熱々のカップに食べかけの板チョコをたっぷり足すと、わたしにピンクのほうを差し出した。

「五条さん、見事に見抜かれてますね」
「伊地知お前マジで覚悟しとけよ」
「……死を?」

 ガタガタと身体を震わせる伊地知さんから視線を外し、悟くんはわたしの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。まるで愛しい飼い犬にするみたいに。

「あれだけの数と等級の呪霊を一度に操るなんて、どうせの手を借りたんだろうとは思ったけどさ。振ったくせに術式だけとか、ほとんどヤリ捨てみたいなもんだろ。が可哀想だよ」
「それ以上 くんを悪く言わないで」

 悟くんの言葉の意味はよくわからなかったけれど、 くんの悪口だと言うことはなんとなくわかった。ココアよりもチョコレートの風味がずっと強い、悟くんお気に入りのホットチョコレートココアを少しだけ口に含む。いつまでも舌に残る甘さを感じながら、湯気の立ち昇るココアに目を落とした。

「……信じてもらえなかったなぁ。わたしの気持ち」

 暴力的な甘さが少しずつ遠のいていく気がした。ココアとチョコレートで誤魔化そうとしていたものが滲んでくる感じがして、わたしはもう一度マグカップに口を付けた。

「 くんのこと、本気で好きだったのに」

 ぽつんと独り言ちると、伊地知さんがコーナーソファに腰を下ろした。同情したような目でわたしを見つめている。悟くんはわたしの顔を覗き込んで尋ねた。

はさ、 とどうなりたかったの?」
「…… くんと付き合いたかったよ。ひとりの女性として見てほしかった」
「その先は?」
「……え?」

 意味のわからない問いかけに、わたしは目を何度も瞬いた。悟くんは丸いサングラス越しにわたしをまっすぐ見据える。世界の最果てにも似た青い瞳に、わたしの何もかもが見透かされそうだった。

の言う“付き合う”ってのはさ、デートしてセックスするだけでしょ」
「ご、五条さんっ」
「その言葉には“一生添い遂げる”って意味はきっと含まれてないはずだよ」

 伊地知さんの制止を無視して、悟くんは感情の読めない声音で淡々と告げる。 くんと付き合うということ。最初からそこまで考えていなかったし、もっと軽く考えていいものだと思っていた。何も言えなくなったわたしに、悟くんは鋭利な響きで追い打ちをかけた。

に の人生を背負う覚悟はあった?」
「……そ、れは」
「アイツの言ってる本気って、多分そういうこと」
「そこまで考えないと、本気じゃないの?」
の場合はね」

 そう言って表情を和らげると、悟くんはマグカップに唇を付ける。

「たとえ何があっても、相手の人生に関わる権利を手放したくないこと。もっと簡単に言えば、相手と自分の幸せのためだけに我儘になれること。それがにとっての“本気の恋”ってやつなんじゃないかな」

 悟くんの言うことは半分も理解できなかったけれど、悟くんの目から見てもわたしの初恋はちっとも本気ではないと言いたいらしいことは理解できた。悟くんも くんもあんまりだと思う。

 不満を示すように伊地知さんを見れば、「もっと好きになれる人が現れますよ」と返ってきた。拗ねたわたしはソファに深くもたれかかる。そんな人なんて現れない。絶対。

 わたしをわかってくれるひとはこの場にはいないのだろうかと思っていると、唯一の理解者が大きなチョコレートケーキを抱えてリビングに登場した。

「紳士淑女の皆々様、大変長らくお待たせ致しました」

 恭しくお辞儀をして、エプロン姿のお兄ちゃんは丹精込めて作ったクリスマスケーキを見せびらかす。たっぷりと乗せられたチョコレートのクリームに、サンタクロースとトナカイのマジパンが乗っかっている。とっても華やかで手の込んだそれを目に入れた悟くんは勢いよく立ち上がった。

「早っ!しかも超豪華っ!さすが樹!」
「マジパンとスポンジだけは昨日作っておいたので。こんな真夜中にクリスマスケーキ作るなんてちょっとワクワクしますね」

 お兄ちゃんは悪戯っぽく笑いながら、ケーキをローテーブルに置く。日付はいつの間にかクリスマス当日に変わっていた。デパ地下で売っていそうな出来栄えのケーキから目を上げて、達成感に満ちたお兄ちゃんの顔を見つめる。

「……お兄ちゃん」
「ケーキ、  先輩と一緒に食べ れたら良かった にね」

 ひどく残念そ に肩を落として、お兄ちゃんは眉尻を下 た。やっぱりわたしのこと ちゃんとわかってくれるのはお兄ちゃ だけだった。ひとり泣きそうになって ると、悟く が心底嫌そ な顔を る。

「だ ら、のこ を振っ 奴と  て絶対無理。門 払い し やる」
「……わた は、 くん 好き 人になりたか たよ」
「まだ言 てんの?他に   男が い  よ」
「   以外  て考   ない に?」
「で       」
「            ね」
「   と   」
「         」



* * *




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