決まって毎週金曜日になると、ある電柱のそばに青い花束が置かれている――“窓”からそんな情報が入ったのは、先月初めのことでした。

 人間の負の感情から生まれる呪いは、極端に言えば、人間がいるところならばどこにでも存在します。言葉通り、“どこにでも”です。

 もちろん学校や病院といった人間の大勢集まる場所や、心霊スポットといったマイナスイメージの強い場所など、呪いが湧きやすい場所はあります。ですが、当然のように例外もある。だからこそ、発生した呪い全てを呪術師や補助監督だけで把握し調査するのは、現状不可能と言わざるを得ません。

 ですから、我々は“窓”と呼ばれる“呪いが視えるだけの人々”に協力を仰いでいます。提供してもらった情報を元に調査することで、円滑に呪いを祓うことができるのです。

 私がこの案件の担当になったのは先月末のこと。そのときにはすでに、複数の“窓”から同じような目撃情報が寄せられていました。

 ――毎週金曜日になると、特に事故があったわけでもない場所に、水色の紫陽花で作られた花束がぽつんと置かれている。

 普通に考えれば、誰かのイタズラか何かでしょう。

 ただ問題は、その花束に残穢、つまり呪いの痕跡がべったりと残されていたことです。人に危害が及んでいるようには見えないものの、だからといって知らぬふりをするわけにもいかず、ひとりの“窓”がその残穢を追ってみることにしたそうです。

 住宅地の中を縫うようにして、アスファルトに点々と続く残穢を辿っていくと、ほどなくしてとあるアパートに到着しました。来月から解体工事が始まる予定の、激しく老朽した二階建てのアパートです。

 ――ああ、いるな。

 そう直感した“窓”は足早にその場を後にしました。私に事の一部始終を報告すると、この件にはもう関わりたくないとうんざりした様子で言いました。それほど嫌な予感がしたそうです。

 そういうこともあって、念のため、担当である私自身も調査に赴くことにしました。それが先週の金曜日のことです。

 情報通り、電柱に立てかけるように、季節外れの紫陽花でできた青い花束が置いてありました。残穢を辿るように歩いて例のアパートを発見しましたが、幸いと言うべきか、呪いの気配はまるで感じられませんでした。

 そのアパートは、定められた耐震基準に全く達していなさそうな、ひどい有り様でした。加えて、その場にいるだけで気が滅入るような感じがしました。ひどく嫌な予感がするのは、ただ古いだけが原因ではないのでしょう。

 錆び付いた階段を上り始めたとき、辺りに異臭が漂っていることに気づきました。この仕事を始めてからさして珍しくもなくなったそれは、間違いなく腐った人間の臭いでした。

 鼻がもげるような腐臭は、階段から最も遠い角部屋から漏れていました。鍵が掛かっていないのをいいことに、私は扉を開けて中をそっと確認しました。

 凄まじい腐臭に鼻を塞ぎながら、目を凝らします。カーテンを閉めて全ての光を遮っているのか、部屋は真っ暗で視界がはっきりしません。

 やっと暗闇に目が慣れてきたとき、ぞっとしました。

 床には、女性の生首がいくつも転がっていました。その数は両手では到底足りないほどでした。

 数時間前には生きていたであろう真新しい首に、大量の蛆に覆われて蠅が飛び回っている首。すでに腐敗が進んで白骨化してしまった首もありました。

 ただ表情のわかる首はどれも一様に、眼窩からこぼれんばかりに目を見開き、耐えがたい恐怖に顔を歪ませていました。

 すぐに警察を呼んで調べてみれば、全員行方不明届が出ている失踪者であることがわかりました。ここ数ヶ月の間で突然行方不明になったそうです。

 年齢も職業も住んでいる場所も違う彼女たちには、ひとつだけ共通点がありました。

 彼女たちは、みな、結婚式を間近に控えた女性だったのです。

 そう、だからあの青い花束の意味はきっと――サムシングブルー。

 しかしあの花束は決して、新郎新婦の永遠の幸せを願うものではありませんでした。



* * *




「――その花束が置かれていた場所が、ここです」

 何の変哲もない鼠色の電柱を示しながら、伊地知さんが言った。最後まで黙って話を聞いていた伏黒くんが、小さく肩をすくめる。

「なんでそんな怪談風に……」
さんに少しでもわかりやすくお伝えしようと思いまして」

 伊地知さんはそう言うと、伏黒くんとわたしを交互に見つめた。

「それでは、この先のアパートに棲み付いた呪霊の祓除をお願いします。避難誘導は完了しているため、五分後に“帳”を下ろします」
「ひとついいですか?」
「はい、なんでしょう」
「今回の案件……どう考えても、ド素人に任せるような仕事じゃないですよね?」

 眉を寄せる伏黒くんの声は鋭く、どこか責めているようにも聞こえた。途端に口ごもった伊地知さんを横目でなぞったあと、わたしはバクのぬいぐるみを抱きしめて問いかけた。

「そうなの?」
「今回の呪いは人間の性別だけじゃない、人間の置かれている状況や文化までも理解してる。知能のある呪いは厄介な場合がほとんどだ。ド素人向きの仕事じゃない」

 滑らかな説明には薄っすらと苛立ちが滲んでいた。すると伊地知さんは観念した様子で「五条さんの指示です」と言葉を絞り出した。わたしにこの仕事を任せることは、彼自身もきっと不本意なのだろう。項垂れる伊地知さんに、わたしは「大丈夫です」とだけ伝えた。

 伊地知さんの足音が遠ざかっていくのを背中で感じながら、わたしは電柱のそばで膝を折るようにしゃがみ込んだ。腕の中のぬいぐるみは息苦しそうに潰れている。少しだけ申し訳ない気持ちが湧いたものの、すぐに意識は電柱へと戻った。

 表面がでこぼことした鼠色の電柱には、目を凝らさずとも化け物――もとい呪いの痕跡がくっきりと残されている。

 狂気じみた殺意の中に嗤笑を見た。何もかもを徹底的に踏みにじろうとする意図を感じた。サムシングブルーの花束を置いたのは、きっと嘲笑うためだ。人の死を。幸せを目前にした花嫁の死を。花嫁の喪失に絶望する花婿たちに、追い打ちをかけるために。

 身動きもせず電柱の根元を凝視していると、伏黒くんが怪訝な声を寄越した。

「どうかしたのか?」
「みんな、幸せになるはずだったんだよね」

 結婚式で、大好きな人と永遠を誓う。誰もがこれからの幸せを思い思いに描いていたはずだ。

 わけもわからず呪いに殺された花嫁の恐怖は、想像を絶するものだっただろう。突如として花嫁を奪われた花婿や親族の悲しみは、果たしていかばかりのものだっただろう。

「悔しかっただろうな」

 無意識にそんなことを口にしていた。白い骨壺の、無慈悲なまでに冷たい感触が両手にはっきりと蘇る。それを握り潰すように、わたしはぬいぐるみに顔を埋めてきつく抱きしめた。

 伏黒くんは闇に覆われ始めた空を見上げた。電柱の前で動かなくなったわたしを急かしたり、制止したりすることはなかった。わたしが立ち上がるまで、ただ黒一色に染まった空を無言で見つめていた。