反撃 -前-
呪力がない人間には呪いを認識できない――それは呪術師が最初に学ぶ、この世界の理だ。ならば、呪いが見える人間と見えない人間の違いはなんだろう。そこにどんな差があるのだろう。
「簡単な話だよ。脳に騙されているかどうかさ」
コーヒーを飲みながら、家入先生はさも当然のように言った。
脳はブラックボックスだ。人体の中で脳がもっとも複雑だと言われているし、未だ解明できない謎を数多く残している。普段機能している部分は脳全体の10%にも満たないという話はあまりにも有名だろう。その真偽はさておき、科学の進歩がめざましい現代でも人間の脳はブラックボックスであるという事実には変わりない。
非術師は脳に騙されているから、呪いや呪力を認識できない。もしかすると、騙されているのは呪術師のほうかもしれない。呪いが見えること、見えないこと。どちらが“正しい”のかなんて、わたしにはわからないから。
呪いが認識できない人間には当然ながら、呪いに触れている感覚を認識することも不可能だ。
けれど、呪いは違う。相手の認識にかかわらず、人間に干渉ができる。
人間だけではない。街中で暴れ回れば物や建物を壊すことだって可能だ。それは有機物だけでなく、無機物にも干渉ができるという証明にほかならない。
呪霊はわたしたちの世界と繋がっている。人間とだけ繋がっているわけではなく、そのたしかな繋がりは世界のあらゆるものに及んでいるのだ。
存在証明が可能なら、必ず認識できる方法がある。繋がる方法がある。呪いとの繋がりを断ち切った自らの脳に頼らずとも。
“魂の触り方?そんなこと訊いてどうすんの?”
生徒の姿がほとんど見えない塾の自習室。夜を映した窓際で、わたしは一冊のノートとにらみ合っていた。
机の上に置かれた横罫入りの白いページには、お世辞にも綺麗とは言えないような、形の崩れた角ばった文字が並んでいる。わたしはシャーペンを持って、その問いの下に答えを記していった。
“今のわたしに必要なことだから教えて”
声に乗せてもよかったけれど、ここで自習している生徒がいる以上、変に怪しまれることだけは避けたかった。シャーペンから手を離すと、ノートの上に置かれたそれは独りでに立ちあがった。ペン先が宙にふわりと浮いて、なにかを考えるようにあちこちを動き回る。
呪いとの会話の方法はなにも声だけとは限らない。伏黒くんと向かった仙台での記憶がよみがえる。
夜を孕んだトイレの鏡に浮かぶ真っ赤な血文字。それがヒントだった。
銀色のシャーペンの先端が、紙の上をゆるやかに滑っていく。
“俺とは術式そのものが違うのに?”
わたしはきっと、綱渡りをしている。
呪術規定には“呪いと友好的な関係を築くな”とか“呪いとは会話をするな”とか、そんなことはどこにも書かれていなかった。とはいえ、今のわたしを見た上層部の老人たちは口を揃えてこう言うだろう。――常識的に考えろ、と。
棘くんは絶対にいい顔をしないし、あの五条先生ですら顔をしかめるかもしれない。ただ害をなす呪いとは訳が違うから。“真人”と名乗ったこの呪いは、現代の転覆を企むだけの知能も実力も充分に兼ね備えている。
“絶対参考になるし、絶対参考にする”
“ふうん?ま、なんでもいいけどね。次の本は持ってきた?”
“うん”
“オッケー。じゃあ教えてあげる。読書仲間のよしみとして”
ノートの空白に少しずつ記されていく術式の詳細。“魂の形を変える”という稀有な術式をこうまで容易く開示するのは、わたしを確実に殺すための布石だろうか。ただの親切心からというわけではないだろう。
ちょっと心に穴が開くだけで、あっという間に喰われてしまう気がした。それこそ“神様”に捧げることを誓った魂の一片まで残らずに。
隙を見せないよう気を張りながら、空白を埋め尽くしていく言葉の海を見つめる。責めるような声音が脳裏で響いた。
「狗巻に対する裏切り行為だという自覚はあるか?」
青白い電球が照らす、カビ臭い地下室の中。無謀としか形容できないわたしの提案に協力する条件として差しだされたのは、携帯電話の番号が書かれた一枚のメモ用紙だった。
「棘くんの名前をだすなんて性格が悪いなあ。境界線は自分で決めるし、主導権だって渡さない。あなたのようにはならないから安心して」
「嫌味か」
「ほかになにが?」
答えたわたしの眼前に白い紙が突きだされる。
「さっさと受け取れ」
「いらない。もう覚えた。証拠が残るものを持ち帰るほど馬鹿じゃないよ」
「お前は選択しないという選択すらも選ばないのか」
彼は尋ねた。到底理解できないという顔で。
「そこまでして叶えたい夢だと言うつもりか?」
「その言葉、そっくりそのままあなたに返すよ」
「……」
「人生に正解があったら楽だったのにね」
わたしが笑いかけると、彼は静かに目を落とした。痛みに耐えるみたいに。
「そうだな」と呟く声はひどく空っぽだった。窮屈な部屋に響き渡ることもなく、雪のように溶けて消えていった。
* * *
「あなたにも好きな人がいるんだね」
「はい」
「私もね、彼がすごく好きだったの」
数時間前まで血の海だった場所に、小柄な女性が座っている。変色した畳はすでに乾き始めていた。遺体はすでに運びだされたあとで、部屋はがらんとしていた。
「みんな別れたほうがいいって言ったけど、別れたくなかった。どうしようもなく好きだったから」
「幸せだったんですね」
「そう。他のだれがなんと言おうと、私は幸せだった。だから死んでも彼と一緒にいたいって言ったら、馬鹿だって笑う?」
「いいえ、わたしが連れていきます。あなたを、彼と同じところへ」
「うれしい。ありがとう」
鈴の鳴るような声はひどく穏やかだった。華奢な指先が行く先には黒い拳銃が落ちている。
アタッシュケースの中で眠りについていた自動式の拳銃。正しくは銃の形をした機械装置なのだけれど、一見すればただの拳銃だろう。深淵を溶かしこんだ色のそれに触れた瞬間、女性の身体が透けていった。向こう側が見えてしまうほど。
こぼれるような笑顔を残して、彼女は消えてしまった。
わたしは呪力を含んだ拳銃を拾いあげると、即座に離れをあとにした。空が少しずつ白みはじめている。捻挫の痛みを感覚しながら駆け足で進んだ。
駐車場へ向かえば、すでに準備を終えたふたりが黒塗りの車の前に立っていた。
「お待たせ」
「高菜」
「うん、バッチリだよ」
棘くんに笑みを返すと、真剣な面持ちを交互に見つめる。深呼吸を繰り返して、乾いた唇を開いた。
「それでは今から今回の作戦を説明します。よろしくお願いします」
「明太子」
「お願いします」
居ずまいを正しながら、背後にそびえ立つ深山に鼻先を向ける。
「まずは伊地知さんがこの山全体を覆うように“帳”をおろしてください」
「わかりました」
「“帳”が展開次第、“帳”の内部へ。棘くんの呪言でその辺の低級呪霊を適当に祓って、特級と一級をおびきだします」
「しゃけ」
「二体を同時に相手にするのはまず不可能です。棘くんが車から降りて、二手にわかれます。理想はわたしが一級を、棘くんが特級を相手にすること。棘くんが特級から逃げている間にわたしが一級を叩きます」
一度そこで言葉を切ると、伊地知さんの細い目が途端に泳ぎはじめた。
「く、車から降りて?……まさか、それって」
「分断にはもちろん車を使います」
「えっ?!」
「あ、先に言っておきますけど、伊地知さんの運転テク次第では死にます。即死です」
「死っ?!」
「命がけの鬼ごっこ、頑張ってくださいね!」
「いくらっ!」
わたしと棘くんが笑顔で胸の前で握りこぶしを作ると、伊地知さんは口から魂が抜けたようになった。まるでセミの抜け殻だった。棘くんと目を見合わせて爆笑したあと、気を取り直して話を続ける。
「一級を祓ったあとは速やかに棘くんと合流。わたしと棘くんのふたりで特級を倒します。これが今回の作戦のおおまかな流れです。なにか質問はありますか?」
口元をしっかり隠した棘くんがかぶりを振る。今回の作戦の立案に棘くんは一度も口を挟まなかった。きっと、わたしに命を預けるという意思表示だろう。わたしが立てた作戦で死ぬなら本望だとでも考えているのかもしれない。
なによりも心強かったし、心底愛されているのだと実感した。ここまで全幅の信頼をよせられては、わたしも全力で挑むしかないだろう。
額に汗をにじませた伊地知さんが問いかける。
「……勝てる見込みはあるんですか?」
「ないですよ」
切り捨てるように即答すると、痩せた顔から色が抜け落ちていく。拳銃を強く握りしめて、わたしは言葉を継いだ。
「でも絶対あきらめません。わたしも棘くんもあきらめが悪いんです。呪いに転じてでも道連れにしてやります」
「しゃけしゃけ」
「“最強”の出る幕はありませんから」
「明太子」
目尻に笑みをためた棘くんが右手をかかげる。わたしは自らの手のひらをそこに打ちつけた。小気味いい音が鳴ると、ふたりでうなずき合って車に乗りこんだ。わたしは助手席、棘くんは後部座席へ。膝は小刻みに震えていたけれど、「ツナマヨ」とうしろから棘くんに頭を撫でられて震えはとまった。
車の窓から“帳”が落ちていく様子が見える。シートベルトを引っぱっていたら、伊地知さんが運転席に腰をおろした。その様子を横目で見つめながら、ベルトの先端部をバックルに差しこむ。
「巻き込んでしまってごめんなさい。恨んでくれていいですよ」
シートベルトの位置を念入りに確認していると、淡い感情を帯びた声音が車内に響いた。
「私はこれから死ぬとわかっている子どもを送りだすんです。未来のある子どもを見殺しにするんです。自分だけ安全地帯で見守ろうなんて思っていませんよ。あなたたちを担当する補助監督として、最後までお手伝いさせてください」
「……ありがとうございます。頼りにしてますね」
エンジン音が耳を打つ。社用車は急加速で発進すると、黒い壁のような“帳”の中に突っ込んだ。
深山に続く舗装された公道を突き進む。棘くんは窓を全開にすると、その身を乗りだした。背負った黒いリュックのポケットからのど薬を取りだす。双葉荘に辿り着くまでの道中で伊地知さんが購入してくれたものだった。
薬剤をのど奥に流しこむと、棘くんの呪印があらわになる。
「――爆ぜろ」
すぐ前方で爆発音が轟いた。肩を持ちあげたわたしに対して、伊地知さんがすぐに「三級でしょうか。群れになっていた呪いを一気に祓いました」と説明してくれる。わたしはうなずきながら、ガソリンメーターに視線を送る。
車のガソリンはほとんど残っていない。補給もなく飛ばしてきたせいだろう。
助力や車を得ようともこの圧倒的な戦力差は変わらない。時間をかければかけるほど勝率はどんどんさがっていく。この作戦のカギは棘くんなのだ。のどが痛んでしまう前に、さっさと敵を引きずりださなければ。
「棘くん、もう一回できる?」
「しゃ――おかかっ!」
棘くんが危険を知らせた瞬間、車体が左右に大きく揺れた。なにかが打ち付けるような音が耳をつんざく。ゲリラ豪雨にでも遭遇したようなやかましさに目を瞠った。
伊地知さんがハンドルを強く握りながら血相を変えている。
「呪いです!呪いの群れがこちらに向かってきています!」
きっと“帳”がおりたことを警戒していたのだろう。棘くんは窓を閉めると、勢いよく車の扉を開いた。棘くんの腰が持ちあがる。
わたしの身体は再び震えていた。涙がにじみそうだった。首をひねると、茶目っぽい笑みが向けられる。
「ツナマヨッ!」
片手でピースサインを作るや否や、棘くんが車から飛び降りた。扉が大きな音を立てて閉まる。わたしは拳銃から手を離して、両手で頬を強く叩いた。乾いた音に遅れて襲う鋭い痛みのおかげで、脳が一気にクリアになる。
「伊地知さんっ!」
「わ、わかってます!」
アクセルを踏み込むと、車は唸り声をあげてぐんと加速した。脇道にそれるように狭い山道に入る。舗装されていない砂利道を進んでいるせいで視界が上下に揺さぶられる。
「特級呪霊は?」
「気配はもう感じられません。一級も同様です」
「二体とも棘くんのほうに向かった可能性は?」
「ないわけではありませんが――ヒィッ!」
怯むような悲鳴があがった。次の瞬間には雨でもないのに車のワイパーが動きはじめる。けれどその動きも数回続いただけで、ワイパーはひどく中途半端なところで停止した。
険しい顔をした伊地知さんが前のめりになる。深緑に侵蝕された幅の狭い坂道を走る車体は先ほどとは違ってどこかふらついている。砂利道を走行しているせいかと思いきや、伊地知さんの目には決死な色が浮かんでいる。
「伊地知さん?」
「まっ、前がよく見えないんですっ!呪いがガラスにたくさん張り付いていて!」
わたしは瞬きを繰り返した。眼前のフロントガラスは透明そのものだった。ワイパーを動かしたのは呪いを振り払うためだったらしい。
広い視界の向こうでは坂道が緩やかな曲線を描きはじめている。右側は渓谷だった。このまま突っ込めば脱輪するか、最悪転落の可能性もありうるだろう。
「……見えなくてよかった、なんて」
湧いた苦い気持ちに顔をしかめながら右手でハンドルを掴んだ。わずかに左に回転させると伊地知さんが驚いた声をあげた。
「さん?!」
「左寄りに走って!落ちます!」
「は、はいっ!」
速度は決して落とせなかった。窓ガラスを叩きつける音が続いているせいで。呪いが並走できる速さになった時点で、窓を割られてわたしたちは死ぬだろう。
「伊地知さん左に急カーブ!」
「急?!」
深い曲線に沿うように車体が転回していく。張りついた呪いのせいで前方は不明瞭、頼れるのはわたしの雑な指示のみというこの状況でも、伊地知さんは車を巧みに操っていた。
道幅が狭くなるにつれて呪いがぶつかる音は減っていく。黒い空がどんどん近づいているような気がした。伊地知さんの表情にようやく余裕が戻ってくる。
「一時はどうなることかと……ぎゃっ!」
カエルが潰れたような声がして、蒼白になった顔を二度見する。走行速度が落ちていることを指摘しようとすると、「非常に言いにくいのですが」とぼそぼそした声が落っこちた。
「左斜め前方に目標のおでましです」
「じゃあこのまま突っこんでください」
「それ本気で言ってます?!」
「全力でひき殺して!アクセルッ!」
「これ社用車なんですけどぉおおおっ!」
涙を含んだ悲鳴とともに車が急加速する。背中が座席にべったりと張りつく。堪えるように奥歯を噛んで、スカートのポケットをまさぐった。
衝撃はなかった。代わりに伊地知さんの小さな悲鳴が耳を打った。
「す、すり抜けてます!すり抜けてますっ!」
「二回言わなくても知ってます!」
「見えてるんですか?!」
「まったく見えてません!」
フロントガラスに映るのは、明らかに車が通る幅ではなくなった獣道だけだった。いっそ割れてくれたなら位置も容易につかめたのに。
わたしの決断は早かった。
ポケットから取りだしたカッターナイフで左の手首を深く切り裂いた。瞬間、フロントガラスに大量に付着するほどの血液が勢いよく噴きだす。
「さん?!」
「……やっと見えた」
おびただしい鮮血が宙に浮いている。血液によって輪郭を得た呪いがすぐ目の前にいた。
ひときわ大きな丸い形、つまり頭部を確認した途端に息が苦しくなった。首をなにかに強く掴まれている感覚が脳に届いている。気道を塞がれる。骨が軋む音がする。目の奥で痛みが弾けている。
わたしの視界を横切るように、伊地知さんの左腕が伸びてきた。
「こいつッ!早く、早く離しなさいッ!」
焦燥に駆られた伊地知さんの声音が鼓膜を震わせる。左手で押しだそうとしているせいだろう、運転がおろそかになった車体が上下左右に揺れた。わたしの右手がなんとか拳銃を掴んだそのとき、血染めのガラス越しに漆黒の空が見えた。
「いじ、ちさ……」
「は、はいっ?!」
「……ま、え見て……が……け……」
「えええぇぇっ!?」
急ブレーキのせいで身体が前のめりになった。車体の前方が落下する。どうやら前輪が落ちたらしい。
頚部を絞める圧迫感がなくなって、すぐに妙な生ぬるさを感覚する。何故かスカート越しでもわかるほど太ももが濡れている。
わたしが右手を持ちあげようとしたとき、肘から先の感覚がないことに気づいた。膝の上に重量のあるなにかが落ちていることにも。
激痛にのどを嗄らす暇もなかった。まともに力が入らない血だらけの左手で、切り落とされた右手から拳銃をすくいとる。一閃の走った左手首から絶え間なく血液がこぼれていく。
即座に銃口を持ちあげて懸命に焦点を合わせる。奥歯を噛んで痛みをごまかしながら。
フロントガラスの向こう側が赤く染まっている。生き物の輪郭を持つそれがこちらに突進するより早く、人差し指に力を込めた。
「ごめんね」
引鉄を引くと、眼前が一瞬で凍り付いた。フロントガラスが木っ端微塵と化す。赤く染まった虚空はもうどこにも見当たらなかった。
氷の欠片が車内にぱらぱらと舞い落ちたとき、視界が再び下方へと大きく揺れる。ハンドルに抱きつく伊地知さんの顔からは、面白いほど汗が噴きだしていた。
「……おおおおお落ちませんよね?」
「早く外にでましょうか」
掠れきった声で答えながら、窓の外に目をやる。足を踏み外せば渓谷へ真っ逆さまという極めて危険な場所に車は停止していた。扉から降りるのは危険だろう。
わたしは後方の窓ガラスを割って外に這いでると、脱いだ上着で切り落とされた腕の止血を行っていく。わたしのあとに続いた伊地知さんの顔は真っ青だった。
「さん、右腕が……」
「ひどいですね。棘くんに心配されそう」
あはは、と笑いながら顔をあげる。
「失神しそうなくらい痛いですけど……平気です。わたしも伊地知さんも、ちゃんと生きてます。向こうもかなり手を抜いてくれましたから」
右手を失って済んだだけでも幸運だろう。そもそも首を飛ばそうと思えば簡単にできたはずなのだ。手を抜かれたのはわたしがイザナミさんの供物だからだろうか。手加減されてこのざまでは、カッコカリとはいえ特級を名乗る資格はないかもしれない。
苦笑を刻んでいると、伊地知さんが左手首の止血をしてくれた。ハンカチで手首を強く縛りながら、左手に収まる拳銃に視線を送る。
「さっき、それでなにをしたんですか?」
「レーザー冷却の応用です」
「……レーザー?」
「半導体の研究に使用されている技術です。聞いたことありませんか?」
黒い拳銃を掴んだまま、来た道を引き返す。歩くたびに痛みで倒れそうだったけれど、話し続けることで必死で意識を保とうとする。
「呪霊の肉体を構成する原子の運動を逆方向に動かすことで、絶対零度で凍らせたんですよ。これなら少ない呪力でも充分な効果が期待できるので」
「どういうことですか?」
「わたしは原子の動きを変えることに呪力を使っただけ。凍ってしまうのはオマケみたいなもので、凍らせることが目的じゃないんです」
「はあ」
理解していない様子の伊地知さんがわたしの前を歩く。呪いから守ろうとしてくれているのがうれしかったし、ここで倒れるわけにはいかないと自分を奮い立たせる。
「今の科学では机上の空論でも、呪術なら現実にできます」
「呪術を組み合わせたオーバーテクノロジーというわけですか。加茂くんとメカ丸くんに頼ったのは――」
「加茂くんには呪術による物理法則の無視について教わって、メカ丸くんにはこれの製作をお願いしました。実用化にこぎつけたのはふたりのおかげです」
どの技術を使うのがもっとも効率的か。足りない部分をどのように呪術で補うべきか。考えたのはわたしでも、形にできたのはふたりのおかげだった。
伊地知さんが首をひねる。
「その設計はだれが?さんですか?」
「イザナミさんです」
「……えっ?」
眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれる。わたしは口端に笑みを浮かべると、素早く話題をすり替えた。
「棘くんのところに急ぎましょう。今度は絶対に手を抜いてくれない相手ですよ」