水着

「さぁ真希さん!狗巻先輩を確実にオトす水着を選びましょ!」
「もう完全に落ちてるから意味ねぇぞ」

 やけに気合いの入った野薔薇ちゃんを先頭に、わたしたちは弾けるような鮮やかさにあふれた空間を進んでいく。駅ビル型ファッションビルの特設スペースは、平日だというのに女性客でごった返していた。

 そこには浴衣などの夏用アイテムとともに、色とりどりの水着が所せましと列をなしている。売り場面積は非常に広大で、これほど多種多様な水着が陳列されているところはかつて見たことがない。もの珍しさにきょろきょろしてしまうし、口も勝手に開いてしまうというものだ。

 先頭を歩いていた野薔薇ちゃんの足がとまったので、わたしたちもゆるやかに立ちどまる。「これ可愛い」と感嘆の声が漏れ聞こえた。

 野薔薇ちゃんが手に持っているのは、ホルターネックタイプの水着だ。ビビッドでカラフルな花柄は、まさに“ザ・夏”という感じでとても可愛い。ただ布面積がやや小さいように感じるのは、気のせいだろうか。

 うしろから真希ちゃんが覗きこむ。すぐに肩をすくめて、かぶりを振った。

「あー……そりゃ駄目だな」
「刺激強すぎ?」
「目に毒だ。あんまり顔にはださねぇけど、あれでもずっと耐えてんだぞ。ほとんど下着みたいな水着は可哀想だろ」
「ムッツリだったのね、意外」
「童貞だからな。その辺も考慮しろ」
「了解でーす。セクシー路線はナシ、っと」

 元の場所に戻すと、野薔薇ちゃんは近くの水着を手にとった。身体をよせるようにして、「じゃあこういうのは?」と真希ちゃんにお伺いをたてはじめる。

 腕を組んだ真希ちゃんが「へそくらいは見せてやってもいいけど」と答えているのを、わたしは黙って聞いているだけだった。変なことを言わなければよかったなと、ちょっと後悔しながら。

 そもそものはじまりは、野薔薇ちゃんが新しいジャージを買いたいと言いだしたことだ。その流れで買い物に誘われた真希ちゃんとわたしは、特に断る理由もなかったので同行することにした。

 無事に目当てのジャージを買い終えた野薔薇ちゃんに、「ふたりはどこか行きたいとこないの?」と訊かれ、わたしはぽろっと「水着が見たいな」と答えてしまった。

 “水着”という夏の季語から、瞬く間に“恋人とのデート”という連想ゲームを終えたふたりは、面白いオモチャを見つけたという顔をした。完全に乗り気になったふたりを制止できるわけもなく、こうして今に至る――というわけである。

 ふたりと買い物できることはとてもうれしいし、すごく楽しい。だれかに似合う水着を選んでもらえるのは、ものすごくワクワクする。けれど、その選別基準が他のだれでもない“狗巻棘”そのひとにあるのだから、恥ずかしさを覚えないほうがむずかしい。

 棘くんは多分、女性経験がない。はっきり訊いたことはないものの、真希ちゃんの言う通りだろう。わたしの第六感もそう言っている。

 でもそれが水着を選ぶ基準になっているのは、あまりにも気の毒だなと思った。さすがにちょっと同情する。

 とはいえ、棘くんがそういう扱いを受ける羽目になっているのは、一線を越えることを拒み続けているわたしのせいなのだけれど。

 水着を吟味していた野薔薇ちゃんが、だし抜けに振り返った。

「なんでしないの?」

 まるで心を読んだかのような質問を浴びせられ、一瞬で心臓がとまりそうになる。

「詳しく聞かないほうがいい事情でもあるとか?」
「……事情っていうか」

 答えにまごついていると、真希ちゃんがにやにや笑った。

「コイツこう見えて実は――」
「真希ちゃんっ!」

 慌てて真希ちゃんの口を両手でふさぐ。察した野薔薇ちゃんがポカンとなった。

「うっそォ。男性経験豊富かと」
「……よく言われるよ」
「付き合った人数は多いんでしょ?なんで今までしなかったの?」
「だって、友だちみんな“はじめては痛い”って言うから。その怖さだけがどうしても乗り越えられなくて」

 できることなら痛い思いはしたくない。“痛くしないから”と言われても、“痛かったらどうするんだ、痛い思いをするのはこっちなんだぞ”という気持ちがぬぐえなかった。そうやって引きのばしているうちに、何度も別れがきてしまったのだけれど。

「どうやって守ってきたわけ?」
「体調悪いとか、女の子の日とか、そういう気分じゃないとか……」
「え、それで押し通せたの?逆にすごいわ。みんなさんにベタ惚れだったのね」
「そういうわけでもないよ」

 そもそもベタ惚れだったら別れていないだろう。

 ふたりのあとに続きながら、豊富な水着の数に目を瞬かせる。アメリカンスリーブの黒い水着を見つめていたら、真希ちゃんからの視線を感じた。

「棘とはしてもいいって思ってんだろ?」
「うん。したいと思ってる」

 はっきりと告げると、真希ちゃんに頭をぐしゃぐしゃとなでられた。初めて“お手”ができた愛犬にする反応にそっくりだ。

「どうしたの?」
「なんでもねぇよ」

 なんだかんだ言って、真希ちゃんは棘くんのことをすごく心配しているのだ。

 棘くんは“言霊”の増幅と強制の術式を持つ“呪言師”の末裔だ。生まれながらに言葉が呪いに変わってしまったから、今までたくさんの苦労をしてきたらしい。おにぎりの具で語彙を絞るようになってからもなかなか友だちができず、棘くんの周りに人の話し声や笑顔があふれるようになったのは、呪術高専に入学してからだと聞いた。

 当の本人はなんでもなさそうに話していたけれど、きっとすごく寂しかったはずだ。

 そんな事情を知っている真希ちゃんたちは、棘くんを特別扱いしなかったものの、多少は気にかけていたらしい。だからこそ、棘くんの心を奪ったわたしの存在にはひやひやしたそうだ。

 術師の家に生まれたわけでも、生まれつき呪いが見えていたわけでもないが、特殊な環境で育った狗巻棘の心にどこまで寄り添えるのかと。

「なにも知らないだから逆によかったんだろうな。“呪言”に対して余計な先入観も偏見もない。ただ棘のことを“おにぎりの具でしゃべる変なやつ”って思ってただけだろ?“呪言師”じゃなくて“狗巻棘”として見てもらえたんだ、棘は本当にうれしかったと思うぞ」

と言ってくれたパンダくんから聞いた話だけれど、わたしたちが付き合うことになって、一番ほっとしていたのは真希ちゃんらしい。寂しい思いをすることが多かった棘くんの幸せをだれより願っていたのは、仲間思いの真希ちゃんだったのだ。

 乱れた髪を手ぐしで直していると、野薔薇ちゃんが怪訝な顔をした。

「じゃあなんでしないの?」

 話が戻ってきてしまった。これは納得できる答えを告げるまで延々と訊かれそうな雰囲気だ。それはさすがに面倒なので、恥ずかしさをこらえて本当の理由を話すことにした。

「……はじめてを寮で、なんて絶対やだ。一生後悔すると思う」
「あ、そういうこと」

 野薔薇ちゃんは案外あっさり納得すると、

「あの寮けっこう壁薄いし、知り合いが近くにいるってだけでいやよね。わかるわー」
「最高でも最悪でも記憶に残るって言うし……妥協したくなくて」
「妥協しなくていいわよ。さんが正しいんだから」

 背中を押されたようで、少し気持ちが楽になる。けれどすぐに真希ちゃんの大きなため息が聞こえて、身体がみるみる強ばった。

「正直にそう言やいいのに。心の準備が、なんて下手な嘘ついて」
「こだわりの強い女だと思われたくない……」
「あのなぁ。“外”じゃマトモに生きていけねぇクセに、上層部に喧嘩売るほどお前のことが好きなんだぞ。今さらどんなお前を見せたって嫌わねぇだろ」
「そうだけど……」

 目を伏せると、野薔薇ちゃんがバッククロスタイプの水着を物色しながら、

「古今東西、いい女はみんな強気よ」

 見惚れるほどに不敵な笑みを浮かべた。

「たった一度の夜を特別な思い出にしたい、っていう女の可愛いわがままを叶えられない男なんか、こっちから願い下げでいいの。さんモテるだろうし、わざわざおにぎりの具しか話さない男を選ばなくても」
「野薔薇の言う通りだよ。その程度のわがままも叶えられねぇって言うなら捨てろ。容赦すんな。お前がどうにもできねぇって言うなら、私と野薔薇でボコってやるから」

 あまりの言い草に笑いを噴きだしてしまう。さすがの棘くんでも、このふたりを相手に無傷ではいられないだろう。その展開だけは回避しなければと思っていたら、野薔薇ちゃんが思いだしたように尋ねてきた。

「っていうか、どこへ行くの?やっぱり海?それともナイトプール?」
「海だよ。巨大クラーケンを探しに行くんだ」
「……今なんて?」
「わたしと棘くん、“窓”としても活動してるから」

 ペールピンクの名刺を手渡すと、野薔薇ちゃんがたちまち顔をしかめた。呪術師としては至極真っ当な反応だろう。真希ちゃんはけらけらと笑った。

「馬鹿目隠しお墨付きの課外活動だ。社会奉仕活動部ってところだろうな」

と説明を付け足すと、わたしに目を向ける。

「で、今回は巨大クラーケンってか?どこから持ちこまれた話だよ」

 ――かくて、時は昨晩までさかのぼる。



* * *




「溺れそうになる?」

 夜の八時に近づく塾の休憩室で、わたしはミャコとチョコレートを食べていた。

 次の英語の授業までは十分ほどある。夕飯を抜いて勉強しているせいで、お腹はすでにペコペコだ。少しでも小腹を満たすためお菓子をつつきながら、ちょっとした噂話に花を咲かせていた。

「そう!その場所で泳ぐと、絶対溺れそうになるんだって!」
「危ないね」
「反応薄っ!」

 ミャコのツッコミに肩をすくめつつ、チョコレートに手をのばす。ミャコがコンビニで買ってきてくれた新作チョコレートは、夏でも溶けにくく手がベタベタしないところを売りにしている。パッケージのうたい文句通り、びっくりするほど手がべたつかない。

「巨大クラーケンのしわざじゃないかって噂なの」
「クラーケンって。それ、伝説上の生き物でしょ?しかも日本じゃなくて、北欧とかあの辺の。そんなのいないよ」
「じゃあさ、調べてくれない?」

 軽薄な声が聞こえて振り向けば、わたしのすぐうしろに妙瀬田裕輝が立っていた。「もーらいっ」と言いながら、妙瀬田くんがわたしの手からチョコレートを奪いとる。わたしは文句の代わりに満面の笑みを向けた。

「一粒百万円だよ?」
「高っ!」

 医者一家に生まれた末っ子の妙瀬田くんもまた、親兄弟と同様医者になるべく、日夜勉強に明け暮れている。髪は派手に脱色しているし、言動も驚くほど軽いから頭が悪そうだけれど、意外にもわたしより勉強ができるのだ。

 とはいえ、理数だけは負けていない。わたしの圧勝だろう。妙瀬田くんは「全部俺が勝ってる」と自慢げに言うので、九月の全統模試で白黒つけてやるつもりだけれど。

 妙瀬田くんは近くの椅子を引きよせると、足を組んで座った。

「もうすぐ彼女とその海へ行くんだわ。もちろんデートで。彼女の前で溺れたくないじゃん。わかるだろ、このカッコつけたい気持ち」
「わかんないな」
「冷たいな。そんなこと言わずにさぁ、も彼氏とのデートついでに、ちゃちゃっと解決してくれない?」
「どうしてデート前提なの?」
「海と言えばデートだろ。彼氏絶対喜ぶと思うけどなー?ソースは俺」

 わたしはミャコと顔を見合わせると、声を揃えて断言する。

「信憑性なし」
「女子が冷たいっ!」

と悲痛な声をあげると、それでもめげずに身を乗りだしてきた。

「照りつける太陽、どこまでも広がる青い海、そして大好きな彼女の水着姿!日焼け止め塗っちゃって?かき氷半分こして?熱い砂浜なんか歩けなーいって可愛いこという彼女をお姫様抱っこしちゃったり?男にとっちゃ最高じゃん!最高の夏!」

 その言葉に、チョコレートをつかんでいた手がピタリと停止する。妙瀬田くんがわたしの顔を覗きこんでくる。そのにやにやした顔に、ちょっと腹がたった。

「どう?どうどう?ちょっと乗り気になった?」

 わたしはため息まじりでカバンに手をつっこんだ。カードケースからペールピンクの名刺を取りだして、表情筋が溶けてしまった妙瀬田くんに雑に投げつける。

「おっ、なにこれ。ジュジュツシ?ってこんなの持ってんだ、面白いなー!って……ん?」

 妙瀬田くんが眉をひそめる。

「カッコカリ?」
「カッコカリだよ」

 わたしはミャコに詳しく話を聞くために、スマホのメモ帳アプリを立ちあげる。棘くんの笑顔が頭のうしろでちらつくのを感じながら、雑念を追いはらうようにきっぱり言う。

「本当に溺れる人がでるかもしれない。そうなってからじゃ遅いから」

 すると、ミャコが小首をかしげた。

、水着持ってんの?」



* * *




「ふうん、そういうこと……バカップルは暇なのね」

 野薔薇ちゃんが深くうなずいた。

 そんなの与太話だと一蹴するのがふつうだろう。巨大クラーケンなど現実味がないにもほどがある。ここは日本なのだからせめて海坊主とか磯女房とか、古来から伝わる日本の妖怪ならまだ多少の説得力もあったのに。

 巨大クラーケンの存在の真偽はさておき、海辺での調査ということで水着を買う必要があったのだ。実家にないわけではないけれど、一昨年買った流行遅れの水着だし、サイズが合わなくなっているかもしれない。快方に向かっているものの母は未だに入院中で、送ってほしいと頼むことはできない。

 なにより、棘くんに見せるのならば、精一杯の背のびをしたい。少しでも可愛いと思ってもらうために。

 ともあれ、真希ちゃんや野薔薇ちゃんを巻きこんだ一大イベントになってしまうことは、まったく予想していなかったけれど。

「真希さん、あれは?」

 そう言いながら野薔薇ちゃんが指さしたのは、今年の流行であるハイウエストタイプだった。真希ちゃんが途端に苦い顔をする。

「それの可愛さが私にはわかんねぇ。スカートなら可愛いだろうけど、それはな……」
「可愛いと思うけど。体型カバーと脚長効果は抜群だし」
「私にわかんねぇんだぞ?棘に理解できるかよ」

 ムッとした野薔薇ちゃんが次に示したのは、定番のバンドゥタイプだった。カーキの色合いがスポーティで格好いい。

「これならいいでしょ」
「もっと女子感をだせ。あざとくてもいいから」
「真希さん厳しい。文句多い」
「馬鹿、に着せんだぞ?素材は最大限活かせ」
「それもそうね。了解でーす」

 わたしが簡易の試着室に放りこまれたときには、かれこれ一時間以上が経過していた。ふたりが吟味して選んでくれた水着に着替えていく。似合うだろうかという大きな不安にさいなまれながら。

 なんとか着替え終わって、姿見の前に立つ。わたしの胸が喜びで大きく膨らんだ。

 ふたりが選んでくれたのは、今年のトレンドであるオフショルダーと可愛らしさを引き立たせるフレアトップを組み合わせた、ちょっと攻めたデザインの水着だった。

 トップスにはしっかりワイヤーが入っているから、かなりのバストアップ効果がある。お揃いのショーツは少し浅めだけれど、トップスにあわせるようにぐるりとフレアがついているので、いやらしさがない。むしろすごく可愛い。そして、夏のさわやかさを感じさせる青を基調とした花柄生地は、肌を白く見せてくれている。

 ふたりの見立ては完璧だった。文句をつけるところがどこにもない。

 勢いよくカーテンを開けると、野薔薇ちゃんの顔に満面の笑みが広がった。

さん、けっこう胸あったのね!デコルテすごく綺麗!」
「真希ちゃんほどじゃないよ」
「お前いっつもそれだな。私と比べんのやめろ」

 真希ちゃんは呆れ笑いを浮かべると、ポケットからスマホを取りだした。

「なにしてるの?」
「写真だよ。せっかくだろ、棘に送ってやろうかと思って」
「ちょっと待って」

 間断なく制止の声をあげれば、真希ちゃんがスマホから視線を外した。野薔薇ちゃんも不思議そうに首をひねる。わたしはさわやかなフレアを指でつまみながら、口角を引きあげた。

「――百倍返しにしてやる」