間奏 -後-
それから四日間、棘は
に会うことができなかった。
直接弁当箱を返そうと思ったのだが、気づかぬうちに“お弁当箱は女子寮の玄関に置いて下さい”とメッセージが届いていた。スマホに表示された事務的な言葉の連なりから目が離せなかった。棘の考えを見透かしたような言葉に、自分とは顔を合わせたくないのだろうかと悪いほうに勘繰った。
薄氷の上を裸足で歩いているかような、あの冷たい視線が脳裏を過ぎった。どこまでも孤独で痛切な瞳だった。一度考えてしまうともう駄目で、棘は
に会うのが怖くなった。
そもそも何を話せばいいのかわからなかった。一人で抱え込むな、無理をするな、もっと自分を頼ってほしい――そんなありふれた言葉は、今の
にとって何の救いにもならないだろう。棘の自己満足に過ぎないことは、嫌というほど理解していた。そうやって言葉をかけることで、“落ち込む
に寄り添った”という客観的事実を得たいだけだった。見て見ぬふりはしなかったと自分に言い聞かせたいだけだった。
これは
の問題だ。
の家族の問題だ。外野が簡単に口を出していい話ではないし、中途半端な気持ちは
を傷つけるだろうし、
が棘の手をはねのける可能性のほうがずっと高かった。
に必要とされていない事実を、直視するだけの勇気がなかった。
拒絶されるくらいなら、傍観に徹したほうがいい――だから棘は、時間ができると資料室にこもるようになった。少しでも手がかりを見つけるために。
真希の言うように、
は本当に自らの死を受け入れているかもしれない。しかし、“人間に戻る”と宣言した以上、何かしらの行動を起こすはずだった。詰め込んだ仕事を全て片付けた後に、
は必ず事を起こすだろう。
棘はそこに介入するしかないと考えていた。今の状況で体を取り戻そうとしても、必ず失敗に終わるのは目に見えていた。仮に
が体を取り戻す方法を見つけていたのだとしても、その肉体自体がどこにもなければ目的が完遂されることはないのだから。
何か必ず方法があるはずだった。絶対に。
の魂を縛ったのも、一部とはいえ骨を取り返したのも、棘の呪言だった。棘の歪んだ呪いがあの呪いを祓うことは敵わなくても、爪痕を残すくらいはできると信じていた。
棘は
の言っていた“両面宿儺”と“無科家”の繋がりを追いながら、己にできることをずっと考え続けた。呪言師として、一人の男として、
のために何ができるかを。
軽くなった黒いランチバッグは、指示通り女子寮の玄関先に置いた。後ろ髪を引かれながらも、棘はその足で仕事や資料室に向かい、今の自分にできることに精一杯取り組んだ。
は真希を介して、手作り弁当を棘に渡し続けた。多忙を極めていると五条から聞いていたが、棘の弁当の手を抜くようなことは一切しなかった。隙間なくみっちりと詰め込まれた色とりどりのおかずは棘の食べたいものばかりで、目頭がかあっと熱くなった。
添えられているメッセージカードの文字も、変わらず丁寧で優しかった。
“どんな呪いが相手でも、棘くんなら大丈夫!”
“今日の肉巻きは自信作です。午後からも頑張ってね。”
“狗巻準一級術師の活躍を期待してまーす!”
カードに並んだ言葉が、
に会いたい気持ちを呼び起こした。だが、踏ん切りがつかなかった。何か手がかりを見つけたわけでも、力になれる算段がついたわけでもないのに、のこのこ姿を現してどうするというのだろう。カードを財布に仕舞い込むたび、棘は早く結果を出さなければと焦燥に駆られた。
と会わなくなって五日が経とうとしていた。今日が日本での最後の仕事だという憂太とともに、棘は廃病院に棲みついた呪いを祓った。相手は一筋縄では行かない相手だったが、「最後だし良い格好させて」と言った憂太の働きにより、棘は特に大きな怪我を負うこともなく仕事を終えることができた。
それから二人で昼食を食べることにした。廃病院の屋上で、棘は目を細めながら太陽を仰ぎ見た。今日は梅雨の晴れ間で、最高気温は七月下旬並みだという。照りつける日差しは梅雨の時期とは思えないほどの熱を孕んでいた。烏のような黒い制服が日光を全て吸収してしまうせいで勝手に体温が上がり、額にはじんわりと汗が滲んでいた。
棘は憂太とボロボロの安っぽいベンチに並んで座った。
「手作り弁当なんて羨ましいな」
憂太は黒いランチバッグを見つめながら、コンビニの白いビニール袋に手を突っ込んだ。棘は何も言わずにランチバッグのファスナーを開けた。多忙な
の負担でしかないとわかっているのに、もう作らなくてもいいと言えなかった。
の厚意に甘え続ける自分の狡さに苛立ちを覚えた。
弁当箱を取り出して、いつものようにメッセージカードを裏返した。カードに記された文字に、棘は瞬きを何度も繰り返した。書いている言葉の意味を噛み砕くことは容易ではなく、かなりの時間を要した。
微動だにしなくなった棘の手元を、憂太がちらっと覗き込んだ。クリームパンを頬張りながら、「あ、ラブレターだ」と楽しそうに言った。
“もうすぐ梅雨が明けるかな?来月一緒に海に行こっ!”
梅雨明けが条件だというなら、おそらく海を散歩したいという意味ではないだろう。海水浴がしたいという意味で合っているのだろうか。そうであってほしいと願う棘の邪な考えが導き出した、都合のいい解釈ではないと信じたいのだが。それで合っていると仮定した場合、海水浴デートは定番だろうから別に何もおかしくはない。おかしくはないのだが――
「
さんの水着姿、ちょっと見たいかも」
聞こえてきた憂太の言葉で、棘はやっと我に返った。水着姿でこちらを振り返る
の姿が脳裏にふわっと浮かんで、急に体が熱くなった。一瞬で頭を占めたその姿を一刻も早く掻き消したくて、棘はつんのめるように声を張った。
「おかか!」
「まだ付き合ってないんでしょ?僕にもチャンスがあると思うんだけど」
「おかかっ!」
「あ、でもその頃には海外かあ……写真送ってもらおうかな。絶対可愛いよね」
「お、か、かっ!」
「冗談だってば。そんなに怒らなくても」
噴き出すように憂太は笑った。棘は苦い顔をしてから、メッセージカードに再び目を落とした。
「すじこ」
「うん、そうだね。
さんは諦めてない」
「しゃけ」
死ぬつもりの人間が、はたしてこんなことを書くのだろうか。“来月一緒に海に行こっ!”の弾んだ文字の並びが嘘だとは、棘には到底考えられなかった。
に会いたい衝動が体の奥から棘を突き上げていた。
憂太は左の薬指に嵌った銀色の指輪を右手でなぞった。慈しむような手つきで。
「どれだけ好きでも、いつかは離れ離れになる。でも狗巻君と
さんの“いつか”が今だって決まったわけじゃない。その“いつか”を引き延ばす努力ができる。そうやって少しずつ引き延ばしてきたのが、この二ヶ月なんだし」
「しゃけしゃけ」
「きっと大丈夫だよ。僕の知ってる
さんは、結構タフな女の子だから」
棘は大きく頷いた。それから
の手作り弁当を味わいながらも急いで平らげると、勢いよく立ち上がった。行くべきところがあった。今はほんの僅かな時間でも無下にしたくなかった。
「明太子」
「うん、頑張って。人間に戻った
さんに見送ってほしいし」
その言葉で、憂太の出立の日が末日だったことを思い出した。海外へ旅立つ憂太は、これから末日まで溜まった書類仕事に追われると言っていたはずだ。棘はランチバッグを持ったまま、思い付いたように言った。
「こんぶ」
「え、パーティー?いいよいいよ、仕事が忙しくて皆それどころじゃないと思う」
「おかか!」
「ありがとう。楽しみにしてるね」
棘は憂太と別れ、一人電車に揺られて大型の百貨店へ向かった。
と会う決心はついたものの、手ぶらで
と会うだけの勇気はなかった。何でもいいから話題の種が欲しかった。多忙な中で弁当を作ってもらっている礼だとでも言えば、すんなり受け取ってもらえるような気がした。
健啖家である
のために、洋菓子の詰め合わせをいくつか選んだ。全て別の店のほうが喜ぶだろうと思ったから、地下のスイーツコーナーを何巡もした。平日の真昼間に制服姿でうろうろしたせいで店員からの視線は痛かったが、
のためだと思えばさほど気にならなかった。
すぐに帰ろうとしたものの、「じゃあ棘くんは何をくれるの?」と言った
の声が頭に響いて、少しだけ店を見て回ろうと思い立った。
棘は百貨店を地下から一階ずつ巡っていった。会って何を話すかを考えながら。
なら何を喜ぶかを予想しながら。
化粧品のフロアを巡り終えた棘は次の階へ向かった。化粧品はまったく詳しくないが、
はとても喜んでくれそうな気がした。好きな化粧品をプレゼントさせてほしいと言ってみようかと思いつつ、女性向けの小物が並ぶフロアを歩いた。
アクセサリーショップに通りがかったとき、棘の足が止まった。
「指輪でも通して遊んだら?」
と、せせら嗤ったあの少年の声が克明に蘇ってきたせいで。燃えるような怒りが立ち込めた。
を盾にすれば何もできないと理解した上で、棘に警告した呪いの狡猾さが腹立たしかった。
ガラスケースの中に並ぶ指輪を視界に入れながら、棘は新月の夜の記憶を辿っていた。あのときは突然のことに動揺したし、ひどく困惑した。感情的になってしまったとも思う。もっと何かできなかったのだろうか。薬指の骨を取り返し、
の肉体が存在しないことを確かめただけだった。
今さらどうしようもない後悔が、後から後から湧いた。棘は苦い顔をしながら、鮮明に記憶したあの瞬間を最初からなぞっていった。空いた時間にいつもそうしているように。何かを見つけたかった。千載一遇の好機だったはずなのだ。普段よりもじっくりと、執拗なほどゆっくり、頭の中で時間を巻き戻していった。
ちょっとした違和感でも何でもいいと思った瞬間、ふと、棘は引っかかりを覚えた。喉に魚の小骨でも刺さっているかのようだった。些細だが、決して無視できない違和感。その違和感の正体を暴こうとしたとき、棘の鼓膜がヒールが奏でる高い足音を捉えた。
立ち止まっていた時間が長すぎたのだろう、人の気配を感じたときにはすでに遅かった。
「彼女さんへのプレゼントですか?」
落ち着いた雰囲気の女性店員に話しかけられ、棘はびくっと肩を震わせた。すぐに立ち去ろうとしたが、店員はにこやかな笑顔で続けた。
「ずっと一緒にいたいという気持ちを込めて、指輪を贈られる方が多いんです。きっと喜ばれると思いますよ」
棘は再び足を止めて、透明なガラスの向こうの指輪をじっと見つめた。それから視線を上げて、店員を射るように見据えた。百貨店にはさまざまな客が訪れるのだろう、その店員は一言も発しない相手に対する接し方を心得ていた。
「おすすめをいくつかお持ちしましょうか?」
迷うことなく、棘はこくりと小さく頷いた。
色とりどりの紙袋を手に、棘は急いで呪術高専に戻った。部屋に辿り着いた頃には、日がすっかり暮れていた。予定時間を大幅に過ぎていたが、時間を費やしたことに後悔はなかった。
多忙な
がまだ女子寮に戻ってきていないことを祈りつつ、棘は部屋の扉のそばに菓子の入った紙袋を置いた。その手に白い小さな紙袋だけを持って、サイドテーブルまで歩いていった。その上には
の骨が入った木箱が乗っかっていた。
棘は木箱の蓋を外した。白い骨がみっつ並んでいることを確かめてから、紙袋からリングケースを取り出した。初めて手にする四角い箱に、心臓がばくばくと音を立てていた。深呼吸を何度か繰り返し、緊張した体を何とか落ち着けた。そうっとその蓋を開いて、現れたピンクゴールドの光に目を細めた。
華奢な印象を与える指輪だった。ピンクゴールドは緩やかな曲線を描いているだけで、その側面に宝石などは一切嵌め込まれていなかった。シンプルなものを選びたかった。決して
の邪魔にはならないような。それでいて
を引き立たせるような。不要なものを全て削ぎ落したデザインの指輪を選んだ。時間をかけて、納得するものを。
棘は指輪を指で掴むと、木箱に収められた白い骨にゆっくりと通していった。
の指のサイズがわからなかったから、標準的なサイズを選択した。店員は少し戸惑った様子だったが、棘はそれで構わないと答えた。
に渡すつもりのないものだったから。
「指輪でも通して遊んだら?」
少年の声が耳の奥で響いた。決して遊びではなかった。これは棘の覚悟だった。己が逃げ出さないための枷にも等しかった。指輪を模したその決意表明は、望んだ現実を形にするための道標になると信じて疑わなかった。
肉も皮も付いていないせいで、指輪と骨の間にはぽっかりと隙間ができていた。棘は指輪が抜けないように、クッションに深く埋めて固定した。ピンクゴールドに彩られた
の骨をしばらく眺めた後、棘は木箱の蓋を閉めた。
の問いを思い出しながら。
「じゃあ棘くんは何をくれるの?」
――
が望むものを、全て。それが考え抜いた棘の回答だった。弁当のことは関係なかった。それは棘の願いにも繋がっていたから。棘の欲しいものは全て
とともに在ったから。
棘は
を女子寮の玄関先で待ち続けた。菓子の入った大小さまざまな紙袋を片手に。どれだけ夜の深さが増しても、
は帰ってこなかった。次第に雨が降り始めたが、棘は屋根の下で
を待った。自分に何ができるかを考えながら。ずっと。
途方もない呪力の接近を感覚したのは、ちょうど丑の刻だった。体を震わせた棘は、跳ねるように立ち上がった。間違えるはずもなかったが、最後に会ったときよりずっと力が強くなっていた。仕事を片付ける中で、相当な量の呪いを“喰わせた”ことを悟った。
棘は菓子のことなどすっかり忘れたまま、衝動のままに駆け出した。傘も持たずに。
降りしきる雨の冷たさもわからなかった。雨に濡れた地面を踏みつける音だけが聞こえていた。遠目に傘が見えて、棘はスピードを上げた。早く会いたかった。逸る気持ちがそうさせていた。揺れる傘がどんどん大きくなっていく。その持ち主も、前方に見える棘の姿を認識したようだった。
「棘くん?!」と素っ頓狂な声が聞こえた。久しぶりに聞いた
の声に、とても胸が苦しくなった。身を圧迫するような愛おしさが、棘をさらに前へと進ませた。
桜色の折り畳み傘を手にした
の前で、棘はピタッと足を止めた。口から荒い呼吸をこぼしながら、ずっと会いたかった
の顔をまじまじと見つめた。
「こんぶ」
「うん、ただいま……どうしてこんなところにいるの?しかもこんな時間に……」
不思議そうな顔をした
は、傘を棘のほうに差し出した。小さな折り畳み傘に二人で入るのは少し狭かった。
は棘との距離を詰めた。棘を見つめ返すその瞳には、凍てついた昏さはどこにもなかった。
棘は拍子抜けしてしまった。感情を殺して気丈に振る舞っているというわけでもなさそうだった。すでに自らの中で折り合いがついたことなのだろう。憂太は
をタフだと称していたが、そんな言葉では足りないのではないかと思ってしまった。
「風邪引いちゃうよ」と言いながら、
は肩から下げたバッグに手を入れた。それから少し背伸びをして、取り出したハンカチで棘の髪や肩に付いた雨粒をぱたぱたと拭った。棘は
をじっと見つめながら、掠れた声で言った。
「すじこ」
「えっ、お菓子買ってくれたの?やった、嬉しい!移動時間に軽く食べられるものが欲しかったんだよね」
「高菜」
「全然平気だよ。ごめんね、せっかく仕事代わってくれるって言ったのに。全部勝手に決めたことも、ごめん」
はハンカチを仕舞いながら、いつもと変わらない口調で言った。棘に無用な心配をさせないためにそうしていることはすぐにわかった。
何かを言いたかったし、言わなくてはならなかった。自己満足ではない言葉を。
に必要とされる言葉を。頭の中をひっくり返して探していると、
が眉尻をへにゃりと下げた。
「棘くん、何かあった?」
「……ツナ」
「だって、すごくつらそうな顔してるから。棘くんには笑って“おかえり”って言ってほしかったんだけどなあ。ほら、同棲してるカップルみたいな感じで」
は棘の頬に触れた。笑みを噛み殺したような表情を向けられたが、棘は笑い返すことができなかった。
「……ごめん。わたしのせいだよね」
じっと顔を伏せた
を見て、反応を間違えてしまったと悔いた。無理にでも笑えばよかった。棘はどうすればいいのかわからず、迷った挙句
の言葉を待つことにした。
の抱く孤独は計り知れなかった。母親が手術を余儀なくされた状況だというのに、自らが呪いであるために母親に会うことも叶わず、自分にできることとして働くことを選んだのだ。誰にも頼ることなく、自らに折り合いをつけて。
やがて
が頭を上げた。黙りこくった棘に、いたずらっぽい笑みを向けた。まるで元気を出してと励ますように。
「わたしに会えなくて寂しかった?」
「……しゃけ」
頷きながら、棘は
の左手を掬うように取った。その薬指に目を落とすと、
の左手をゆっくりと持ち上げて、顔のすぐそばまで運んだ。指輪が通っていた位置を唇でそっとなぞった。キスを落とすように。
まやかしだった。皮も骨も体温も感じられるのに、
の本当の体は木箱の中に収められたあの一部だけだった。悔しくて堪らなかった。
の足元に目を落として、棘をせせら嗤った少年に憎悪の矛先を向けた。
歪んだ呪いの恐ろしさを思い知ればいい。棘は呪文のように腹の内で囁いた。
のためにできることをひとつずつ確認しながら、
に視線を移動させた。
は目尻に困惑した笑みを溜めていた。
「くすぐったいよ。どうしたの?」
「おかか」
の目が大きく見開かれた瞬間、棘はその手をぐいっと強く引っぱった。
の体が前のめりになって、抱き止めるように腰を引き寄せながら、柔らかい唇を乱暴に奪った。軽く開いた
の唇に舌をねじ込んだ瞬間、ミルク味の甘ったるさにびっくりした。
の好きなのど飴の味だった。直前まで舐めていたのだろうなと思いながら、咥内を好き勝手に蹂躙していった。
くぐもった声が溢れ、
の手から傘が滑り落ちた。傘が落下した音よりも、体の内側で響くような水音のほうがずっと大きく聞こえた。逃げようとする
の後頭部に手を回して、強引に退路を奪った。夜空の下でも、
の瞳に張られた涙の膜がはっきりと見えた。その瞳を熱でいっぱいにしたかった。棘は
から酸素を奪うように、より深く舌を絡めていった。
「ツナマヨ」
顔の角度を変えては、ほとんど吐息じみた言葉を吐き出した。強い雨音で掻き消されて、
に届いているか不安だった。必死だった。自分にできることがあるはずだった。自分にしかできないことがあるはずだった。呪術師として、一人の男として、
のためにできることが、きっと。
が棘の背中に腕を回した。キスの合間に「棘くん」と呼ばれて、棘は頭を押さえていた手の力を緩めた。
は顔を少しだけ離すと、ひどく楽しげに笑った。
「棘くんのそういうところ、すごく好き。大好き」
甘さを含んだ声音が棘の体温を上げた。余裕の浮かぶ柔い唇に噛み付いた。笑う
を逃がすまいともっと強く抱きすくめた。口付けはもはや熱や唾液を交換するだけの行為になっていたが、やめられなかった。雨の打ちつける中、互いの気の済むまで。ずっと。
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