“好き”の証明は時間をかけて

狗巻くんがわたしの隣に戻ってきたのは、フロアをぐるりと一周し終えたときだった。たくさんの人と人の間に色あせた短髪が見えたような気がして、わたしは間を縫って追いかけた。

ちらつく金髪と距離が縮まったとき、狗巻くんがふっと振り返った。視線がかち合って、わたしは「狗巻くん」と呼んだ。わたしが狗巻くんを見間違えなかったことは、“好き”の証明みたいで誇らしくて、ちょっとむずむずする恥ずかしさがあった。

人の波から外れられる場所に移動する。エスカレーターの近くで、ようやく狗巻くんと向き合えた。

「おかえり」と言ったわたしの目の前に、淡い桃色の小さな紙袋がずいっと差しだされる。雑誌によく載っていて、流行に疎いわたしでも知っているような、有名なハイブランドの紙袋だった。ぱちぱちとまばたきを繰り返す。狗巻くんと紙袋の間を、わたしの視線が行ったり来たりした。

ネックウォーマーのお返しだと気づくまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。紙袋を無言で突きだす狗巻くんの目が、ちょっと泳ぎはじめている。

そうか、これを買っていたから戻ってくるのが遅かったのか。知らない人、それも“ふつうの人”との会話には消極的な狗巻くんが、わたしのために女性向けのなにかを買い求めてくれたことが、たまらなくうれしかった。

「もらっちゃって、いいの?」
「しゃけ!」
「ありがとう!すごくうれしい」

狗巻くんから紙袋を受け取りながら、ちらっと袋の隙間から中身をのぞく。この箱の大きさは、たぶんコスメだろう。だらしなく顔がゆるんでしまう。うれしい気持ちで胸がいっぱいになった瞬間、申し訳ない気持ちがむくりと顔をだした。

「……気を遣わせてごめんね」

小さな声で言うと、狗巻くんがわたしを見つめた。そのまっすぐな瞳は“違う”とはっきり言っていて、わたしは咄嗟に目をそらす。

「狗巻くんはわたしを喜ばせるのが上手だね」
「おかか」
「バカみたいに浮かれちゃうから、そういうこと言わないで」

渡したいと思ったから渡しただけだと言う狗巻くんから逃げるみたいに、もう一度あの人の波に飛び込んだ。さっさと目的を果たさなければ、帰るのが遅くなってしまう。そんな言い訳を心の中で並べた。

「ショートケーキも食べたいし、チョコレートケーキも食べたい……あっちのお店のクリスマス限定タルト、おいしそう……」

ぼそぼそつぶやくと、うしろから狗巻くんの笑い声が聞こえた。かあっと顔に熱が集まる。くいしんぼうだと思われているに違いない。狗巻くんがわたしの背を押した。

「しゃけ」
「うん、そうだね。いっぱい買って帰ろっか」

種類が多いほうが選ぶ楽しみがあるし、ということで、小さなケーキをいっぱい買ってしまった。「買いすぎちゃったかな」とふたりで顔を合わせて笑い合う。余った分はわたしが全部食べてしまおう。

スイーツコーナーから移動しながら、わたしは狗巻くんに視線をすべらせる。

「チキンってどれくらい量が必要だろう?」
「……おかか」
「パンダくん、けっこう食べるもんなあ……高専の近くにデリバリーのお店あったよね。足りなかったら、そこで頼んでもらおうよ」

クリスマスチキンを買い終えるころには、狗巻くんの両手はいっぱいになっていた。財布をカバンにしまい込んで、そそくさと百貨店から外にでる。人の量が一気に減って、視界を横切る呪いの量もずいぶんと減った。

「いっぱい持ってもらって、ごめんね」

空いたままの片手を狗巻くんに差しだす。

「重くない?そっちの半分持つよ」
「おかか」
「ううん、持ちたいの。どうしても」

勇気をだしたくて、息を大きく吸いこんだ。今にも声が震えそうだった。いっそ寒さのせいにしたい。もう一方の手を同じようにぐっと伸ばす。

「だから狗巻くんは……こっちを持ってください」

狗巻くんが荷物をわたしに寄越した。しっかり握りしめたことを確認して、ゆっくりと目をあげる。そのときにはもう、狗巻くんがわたしの手を掴んでいた。狗巻くんの手は冷たくて、わたしの熱を移すようにぎゅうっと指を絡めた。

「帰ろっか」
「……しゃけ」

手をつなぐだけでドキドキして、言葉がどこかに飛んで行ってしまった。電車の改札を通るために手を離す瞬間が寂しくて、それは狗巻くんも同じみたいで、通り終えるとすぐに手をつなぎ直した。

呪術高専に帰ってきたのは、日が傾きはじめたころだった。校門から入ってしばらく歩いた場所にある大きな広場に、大きなモミの木が一本そびえ立っている。色とりどりの電飾で飾りつけられたクリスマスツリーに、わたしの視線は釘づけになった。

ぴかぴか、ちかちか。色が変わるたびに喉から感嘆の声がもれる。

「すごい……綺麗だね」

きょろきょろと辺りを見まわす。飾りつけをしてくれた真希ちゃんたちの姿が見当たらない。外は寒いし、教室に戻っているのかもしれない。教室に飾る大きさのモミの木はなかったのだろうかと思いながら、クリスマスツリーを見つめる狗巻くんに目を向ける。

「ワガママ聞いてくれてありがとう」
「おかか」

わたしの耳に響く狗巻くんの声は、いつも以上にやさしかった。狗巻くんの顔をほのかに照らすクリスマスの灯りに、呼吸が浅くなっていく。お互いの間に漂う空気には独特の甘みが含まれていて、わたしは狗巻くんの目をじっと見つめた。

「……狗巻くん、あのね」

ここで言わなくちゃ。だって絶好のチャンスだから。そう思うのに、言葉が一向にでてこない。心臓の音がうるさくて、頭が真っ白になる。たった二文字がでてこない。

「あの」とか「その」とか、そんな言葉ばかりをしばらく繰り返して、わたしはあきらめて笑った。

「なんでもない。五条先生におつかい完了しました!って報告に行こう?」

すると、狗巻くんの手がぱっと離れた。「え」と乾いた声がこぼれ落ちるくらい、ショックだった。じわりと残ったぬくもりが消えそうになったとき、狗巻くんは口を覆っていた学ランの首元を、空いた手でぐいっとさげた。

唇の端に刻まれた蛇の目があらわになる。狗巻くんがわたしとの距離を詰めたのは一瞬だった。顔が近づいてくる。なにをされるのかを察して、わたしはきゅっと目を閉じた。唇に、唇を押しつけられる感触が広がる。リップクリーム、もっと塗っておけばよかった。

狗巻くんの顔が離れて、やっと目を開ける。目と鼻の先にいるその人に、わたしは意地悪なことを言ってみる。

「……えっと、狗巻くん。こういうことは、付き合ってるひととするんだよ?」

狗巻くんの口端に意地悪な笑みが宿る。仕返しをされるなと思った瞬間、また唇が塞がれていて、わたしの頬はどんどん火照っていく。

「そういう意味に取るからね。都合よく解釈するからね」

念を押すように言うと、狗巻くんが深くうなずいた。

「しゃけ」
「……ずるいなあ、もう」

額を狗巻くんの肩に押しつける。目をそうっと閉じる。まぶたの裏に、ツリーのきらきらした灯りがちりばめられている。

「そういうところも、大好きだよ」

言葉の代わりだろう、髪にキスを落とされたのがわかった。ものすごくうれしくて、顔がにやけそうになる。もうちょっと狗巻くんとここでこうしていたい。

クラッカーの乾いた破裂音が次々と聞こえてきたのは、その直後だった。


---


「真希ちゃんひどい……」
「私にとめられるわけねえだろ」

クリスマスチキンに噛みつく真希ちゃんは、「馬鹿目隠しが言いだした時点で察するべきだったんだよ」といたずらっぽく続けた。

あのあと狗巻くんとわたしは、こっそり隠れて見守っていたらしい五条先生たちにめちゃくちゃ冷やかされた。雰囲気作りのためにわざわざ外にクリスマスツリーを置くことを提案したらしい五条先生は一番楽しそうだったし、とても満足そうな表情をしていた。すごく悔しい。

恥ずかしさで一時は死にそうになったわたしとは裏腹、狗巻くんはまったく気にしていない様子でケーキをもくもくと食べている。わたしのすぐ隣で。

、棘といつでも消えて大丈夫だよ!」

五条先生が笑顔でそんなことを言う。答える代わりに小さくうめいていると、狗巻くんが心配そうな顔をした。

「こんぶ」
「恥ずかしいだけだから大丈夫。なにも後悔してないよ」

狗巻くんがちらっと五条先生を見て、フォークに刺さったイチゴをわたしに差し向ける。パンダくんの笑い声が教室に響いた。

「いいぞ棘!独り身には最高の攻撃だ!もっとやれ!」
さん、やり返すならここで食べないと」

からからと笑う乙骨くんに、わたしは恥ずかしさをこらえてうなずいた。もうこうなったら思いきりいちゃいちゃしてやる。「君たちもっとやさしくしてよ!」と五条先生の文句が聞こえるけれど、そんなの無視だ。わたしたちの熱に当てられてしまえ。

わたしが口を大きく開けると、狗巻くんが楽しそうに笑った。運ばれてきたイチゴは甘酸っぱくて、幸せの味がした。

≪ prev  top   next ≫