五条先生のお膳立て

すこし戸惑った様子で、さんが教室をでていった。それを見送った五条先生が、パン、と大きく手を打つ。

「さてと。場は整えてあげたよ、棘」

狗巻君の眉根がきつく寄った。真希さんが露骨に嫌悪感を丸だしにする。

「……どこまで知ってんだよ」
「え、全部だけど?クリスマスイブに告白しようなんて、棘って意外とロマンチストだよね」

ケロッと返された答えに場が凍りついた。数秒も経たないうちにパンダ君がこめかみを押さえて、真希さんが大きなため息を吐きだした。

たぶん、会話をこっそり聞かれていたのだろう。なんというか、趣味が悪い。

己に向けられる僕たちの視線は鋭く尖っているのに、五条先生はまるで気にかける様子もなく楽しそうに続けた。

「でも夏油のせいで逃しちゃったんでしょ、告白のタイミング。可愛い生徒が困ってるんだ、先生としては一肌脱いであげたいと思うじゃない?」
「はあ?どうせ面白がってるだけだろ」
「春が青いねえ!」

あ、誤魔化したな。高笑いしている五条先生を見つめる狗巻君の表情は、すっかりいつもの調子に戻っていた。不安になって視線を送れば、困ったような笑顔が返ってくる。

夏油が百鬼夜行の予告を行う、すこし前。狗巻君はさんに告白することを決めた。けれど、狗巻君にはどうすれば気持ちを“正しく”伝えられるのかがわからなかったらしい。

それもそうだろう、呪言師である狗巻君の言葉には、強い呪いの力が込められている。言葉で告白することはきっとできない。だから僕たちに助言を求めたのだ。

僕たちのひねりだした結論は、完璧なシチュエーションを整えることだった。

クリスマスイブに、クリスマスツリーの下で、気持ちをはっきりと伝える。

これが愛の告白以外のなんだと言うのだろうか。ベタベタなシチュエーションでなければ意味がない。なにしろ“正しく”伝える必要があるのだから。

とはいえ、夏油のせいで計画は流れてしまったわけだけれど。

「迷惑なら迷惑だって、はっきり言ったほうがいいよ」

僕が言うと、狗巻君は首を横にふった。困った瞳の奥には明確な決意が宿っていて、どうやら五条先生のお節介極まりないお膳立てを、有効活用することに決めたらしい。

狗巻君の瞳が不安の色に染まっていく。

「……ツナ」
「えっと……」

意図を汲み取ろうと僕は思考をめぐらせる。不用意にだれかを呪わないため、おにぎりの具で会話をする狗巻君とのコミュニケーションは、はじめに比べればずいぶん慣れてきたと思う。けれど、複雑な会話はまだすこしまごついてしまう。

狗巻君のことだから、もう考えは先に向かっている。五条先生への文句でないはずだ。きっとクリスマスの話題だろう。クリスマスの定番の話題といえば、とそこでひらめいて、僕はそうっと問いかけた。

「……クリスマスプレゼント?」
「しゃけ!」

明るい声が返ってきて、僕はへへっと笑う。よかった、当たりだ。

さんに贈るものかあ……」

言いながら、僕は左手を狗巻君に向けて大きく伸ばした。薬指にくるりと円を描く銀色の指輪が、きらりと光っている。

「クリスマスプレゼントではないけど……僕は里香ちゃんからこれをもらったよ。もらったときは意味がよくわからなくて……でも里香ちゃんとずっと一緒にいられるんだって思ったら、すごくうれしかったなあ」

しみじみ言うと、うしろから非難の声が次々と飛んできた。

「いきなり指輪は重すぎだろ」
「ドン引きされると思うぞ」
「それは付き合ってる男女限定だよ?」

それはたしかにそうかもしれない。自信がなくなってしまった僕は、うしろの三人に意見を求めることにした。

「もっと軽いプレゼントって、なにがあるんだろう?」
「手元に残らねえやつ」
「お菓子ってこと?」
「消耗品も含めてな」

真希さんの答えに僕と狗巻君が感心していると、パンダ君が首をかしげた。

「それなら、ハンドクリームは?、手がカサカサになるって言ってよく塗ってるし」
「いつもいい匂いしてるよね、さん」

僕が笑った瞬間、狗巻くんの表情がちょっとこわばったのがわかった。妬いて暴れている里香ちゃんのことをふと思い出す。うかつなことを言ってしまったかもしれない。

焦りが顔にでていたのか、助け舟をだすように真希さんが口を開いた。

「匂いってけっこう好みあるぞ」
「棘、の好きな匂いは柑橘系の爽やかな香りだよ」
「なんでパンダが知ってんだよ」

パンダ君が自慢げに鼻を鳴らす。

「こんなこともあろうかと思って、ばっちりリサーチしてたんだ」
「こんぶ」
「どういたしまして」

わかりやすく顔をしかめた真希さんが低い声で言った。

「お節介どもめ」
「棘が告白しようって思うくらい本気で好きになったんだぞ。応援したいだろ」
「これは棘と、ふたりの問題だろ。私たちがどうこう言ったって仕方ねえよ」
「とか言いながらちゃっかり相談に乗ってるくせに」
「はあ?!」

僕はずっと気になっていたことをだしぬけに訊いた。

「告白ってどうするの?」

狗巻君の視線が五条先生に移る。五条先生は寂しそうに笑った。

「うん。自分が一番よくわかってるだろうけど、言葉では伝えないほうがいいよ。愛ほど歪んだ呪いはないからね……が里香ちゃんの二の舞になりかねない」
「……しゃけ」
「まあ、血を吐くくらい術を使ったあとのガラガラ声で言うって手もあるけど……が心配するし、それはやめたほうがいいだろうね」

告白の相談を受けたときも思った。好きな女の子に好きだと伝えられないことは、きっともどかしいだろうと。僕は最後の最後に里香ちゃんに「愛してるよ」と伝えられた。けれど、狗巻君はそれができない。もどかしくてたまらないだろう。

それと同時に、僕と同じ想いはしてほしくないとも思った。里香ちゃんは幸せだったと言ってくれたけれど、僕には後悔の気持ちが残っているから。

目を伏せた狗巻君に、真希さんがカラッとした笑顔を向ける。

「大丈夫だよ。言葉で伝えられねェなら態度で示せ」

その励ましを聞いたパンダ君が、ジト目で真希さんを見ていた。

「真希ィ……」
「うるせえな!しょうがねェだろ!」

僕は狗巻君と顔を見合わせて笑った。代わりのきかない大切な仲間の、大切な恋だ。応援したい気持ちはやっぱり隠せない。

そこから話題は切り替わって、どんな態度なら気持ちを伝えられるかについて僕らは話し合った。

「迷子にならないようにってベタな理由で、手を繋いでみるとか?」
「恋人繋ぎな、恋人繋ぎ」
「それはさすがにハードル高くないかな……」

ちらっと狗巻君を見たものの、狗巻君は無反応だった。アイデアすべてを受けとめて、自分のなかで取捨選択するつもりなのかもしれない。僕よりずっと狗巻君を理解しているパンダ君は、すこしだけ声を張った。

「ふつうに繋ぐだけじゃ気持ちが伝わらないだろ。、棘の気持ちにはうっすらとしか気づいてないしな」
「えっ、うっすらと気づいてるの?」

僕が素っ頓狂な声をだすと、狗巻君が小さくうなずいた。はっとした僕は質問を続ける。

「もしかしてそれって……脈アリってこと?」

もう一度、狗巻君がうなずく。それもそうか。だれかの気持ちを汲み取ることに長けている狗巻君が、恋愛感情という大きな気持ちの揺れに気づかないはずもない。

というか、なんだそれ。ただの両想いじゃないか。まさかお互いわかっていて、“友達”の関係をずっと続けているのか。

からからと五条先生が笑い声をあげる。

「女の子の気持ちにはとことん疎いねえ、憂太」

ぐさりと胸に言葉が突き刺さる。里香ちゃんの気持ちには、たしかに疎かったけれども。

ちょうどそのとき、教室の扉が開いて、さんが戻ってきた。噂をすればなんとやらというやつだ。

五条先生が尋ねた。

「問題なし?」
「はい、大丈夫でした」

言いながら、さんはカバンを手に持った。狗巻君に体を向けて、ぺこりと頭をさげる。

「それじゃあ狗巻くん、よろしくお願いします」
「しゃけ」

明るく答えた狗巻君の声はちょっとだけ張り詰めていて、緊張の色が感じ取れた。ふたりが連なって教室からでていく。

扉の向こうに消えていく狗巻君の背中に念を送る。がんばれ、狗巻君。脈アリならきっとうまくいくし、絶対にうまくいってほしい。できれば―――僕の分まで。

五条先生が僕の顔をひょっこりのぞき込んできた。

「なに真剣な顔してんの」
「うまくいってほしくて……」

たった数時間前の里香ちゃんとの別れを思い出す。僕の恋は里香ちゃんを幸せにしたけれど、周りを巻き込んでたくさんのひとを傷つけてしまった。

勝手に落ち込んでいると、五条先生が僕の肩にぽんと手を置いた。

「うまくいくよ」
「そうそう。だって告白する気満々だからな」
「え?」

付け足された真希さんの言葉に唖然とする。真希さんはいたずらっぽく笑いながら言った。

「棘からは絶対告白なんてしてこないって思い込んでんだよ。だから“わたしが言うしかない”って息巻いてたんだ。ずっとな。可愛いからそのままにしてるけど」

パンダ君が同意するように首肯する。知らなかったのは僕ひとりだけらしい。さんとそこまで深く話したことがないからなあと思っていると、五条先生がぐっと顔を突き合わせてきた。

「憂太、ここに残された僕たちが今考えるべきなのはね……」

急に真剣な色を帯びた声に、思わずごくりと喉を鳴らす。

「くっついたふたりをどう冷やかすかだよ!いやあ、若いって素晴らしいね!」

五条先生のふざけた言葉のせいで、一気に脱力してしまう。「最低ですね……」と僕のかすれたつぶやきに、真希さんとパンダ君が深くうなずいた。

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