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“から着想を得た。来い。”旧知の仲である加茂憲倫がそんな手紙を寄越してきたのは、白雪の降り積もる年の暮れのことだった。
肩からずり落ちた羽織りを掛け直し、用件だけの無礼なそれを薄っぺらな懸紙の中に戻す。汚れた鼠色の分厚い雲を見上げると、急いで出かける支度を整えた。
加茂憲倫ほど、わたしの好奇心を刺激する術師はいなかった。
禪院、五条、加茂――御三家出身と聞けば頭を垂れた時代はとうに過ぎ去った。にも関わらず、血を継いだ術師たちは修練よりも既得権益の奪い合いに必死だ。滑稽すぎて涙がでる。
今や実力の伴っていない術師が御三家の過半数を占めていることだろう。慣れというのは恐ろしいもので、術師を束ねるお偉方はどうやらそれで構わないらしい。呪いの王が生きていた時代に比べれば、術師全体の質も数も格段に落ちたというのに。
けれど、加茂憲倫だけは別だった。彼はわたしの術式の仕組みを寸分たがわず言い当ててみせたのだ。
両面宿儺に次いで四人目。やっと現れた逸材に、わたしは感動で打ち震えた。
彼は間違いなく鬼才であり、数少ない本物だった。その才は十にも満たない頃から人の領分を完全に逸脱していたし、人の皮を被った呪霊や精霊なのではないかとさえ疑った。
自ら開いた寺で“研究”を重ねていた加茂憲倫は、“新作”を手に入れるたび、まるで自慢するようにわたしに手紙を書いた。
白い紙に綴られた、挨拶も何もない、文とも呼べないような簡素な手紙。わたしにはそれが一番の楽しみだった。次はどんな素敵な物を見せてくれるのか、少し考えるだけで子どものように身体が疼いてしまう。
だからこそ、わたしから着想を得たという彼の“新作”に興味を惹かれてたまらなかった。はやる気持ちが身体を突き動かしたのだろう、予定よりも二日も早く、奥山に開かれた小さな寺に到着した。
白く染まった寺に入る前から、異様な呪力を肌で感じていた。禍々しいそれを警戒するように五感が鋭敏に研ぎ澄まされていく。新雪を踏み鳴らす音の輪郭を際立って認識するほどに。
雪をかきわける若い修行僧たちに挨拶をして、加茂憲倫の住まう庫裏へと足を向けた。
数回、軽く戸を叩く。返事がないのはいつものことだ。「お邪魔します」と引き戸を開けると、たれ込める呪力の濃度に目を瞬かせた。編み上げの靴をもたもたと脱いで、研究に没頭しているであろう彼の姿を探す。
「来たか」
その部屋の扉を開いたとき、明晰な低音が耳を打った。部屋の隅で作業に没頭している痩せた背中をようやく発見する。
「早かった?」
「いや構わん」
声の主が研究に使っている薄暗い部屋は、庫裏のどの部屋よりも呪力が濃かった。あまりの濃度に視界がわずかに濁っている。
加えて、凄まじい血臭が鼻孔を焦がしていた。特級呪霊の腹を破るように頭を突っ込んで、そこでずっと呼吸を続けている感覚に陥るほどだった。
部屋を見渡したわたしは小さく首をひねった。いつもは助手じみた術師たちが彼の周りをうろうろしているのに、今日に限ってひとりも姿が見えない。
こちらに背中を向けている彼は、頭の後ろに目でも付いているのか、わたしの抱いた疑問に滑らかに答えてみせた。
「気分が悪いと席を外したよ。凡人にはこたえるらしい」
「それで助手が務まるの?」
「代えが利くほうがいい」
奥の座敷牢からすすり泣く女性の声が聞こえる。悲痛な響きに憂愁を覚えていると、彼は事も無げに言葉を紡いだ。
「呪霊の子を孕む女を見つけた」
声のほうに鼻先を向け、確かめるように問いかける。
「……彼女を使うってこと?」
「ああ。だがそう妬くな。話はここからだ」
即答した彼は立ち上がって、わたしのほうへ歩いてくる。
嫉妬などするものか。失礼な物言いに文句のひとつでも言いたかったのに、目の前に突きだされた“新作”にたちまち思考を奪われてしまった。
「に見せたかったのはこれだよ」
手渡されたのは細長い瓶だった。円柱状の瓶の中に、赤い色をした何かが浮かんでいる。丸くなったその躯体はまさしく赤子だった。母親の胎内で充分に育つことができなかったのだろう。
成育途中の小さな呪霊の子から目を外し、もう一度すすり泣く声に意識を向けた。
「……呪胎?」
「残りはあと八つ」
与えられた手がかりから彼の思考を紐解いていく。
わたしから着想を得たこと。そして彼が作ろうとしている呪胎の数。
はっと閃いたわたしはすぐさま彼に視線を転じた。
「呪胎で九相図を描くの?」
「正解だ。よくわかったな」
「“お前の腐乱死体が見てみたい”が口癖なのはどこの誰?」
「さあな」
ひどく楽しげに口端を歪めると、彼は研究に戻っていった。背を向けた彼には必要以上に近づかないようにしている。作りあげる過程にはさほど興味がないからだ。彼に手渡されたものを心ゆくまで堪能するのがわたしの楽しみだった。
次は九つ全て揃ったときに訪れようか。そんなことを考えながら、面格子に覆われた丸い窓から漏れる光に円柱の瓶をかざしてみる。
無色透明の液体に浮かぶ赤黒い呪胎。人間と呪いの珍しい混血。そのうえ生まれ落ちる前に母の胎から取り出されてしまった肉の塊。その身体の構造を確認するように、口を一文字に結んで観察を続ける。
呪胎の目と思わしき器官に焦点が移り――わたしは呼吸が止まるのを抑えきれなかった。
夜を溶かし込んだ光のない瞳が、わたしを射抜くように見つめている。
視線が深く絡んでいく。決して勘違いではなかった。間違いなく、わたしはそれに認識されている。
すぐに心臓は凄まじい速さで血液を全身に送りだした。水気を失った唾を喉奥に押し込める。体温が急激に上昇していく感じがした。
覚えたこともない高揚感に包まれて、自然と持ち上がった唇から熱を孕んだ吐息がこぼれ落ちる。
「ねぇ、憲倫くん」
慈しむように、瓶の表面を人差し指の腹でそうっとなぞっていく。
「憲倫くんが死んだら、この子をわたしにちょうだい」