迎えに来た脹相

「殺したのか」

 耳朶を打ったそれが恋人の声だとわかっていても、一瞬で喉元に鋭利な刃物を突き付けられたような感覚に陥った。吐き気を伴う恐怖が腹の底からせり上がってきて、わたしは自らの腕で身体を強く抱く。

「……わたしじゃないよ」

 暮夜の香りが漂う地下駐車場に、自分のものとは思えぬひび割れた声が響く。わたしが座り込んだアスファルトは雨でもないのに濡れていた。暗がりのせいだろう、スカートを染め上げるそれの色が何色なのかわからない。今、視界に鮮やかな朱が映らないことが、せめてもの救いだった。

「こうも肉片ばかりとは、ずいぶん派手に殺したな。相応の呪詛を受けたと見えるが」
「……仕事、もっと早く辞めればよかった」
「先に稚拙な嫌がらせをしてきたのはこの女だろう。因果応報。積み重ねた呪詛が在るべき場所に帰っただけのこと」
「でも、このひとにはまだ小さな子どもが――」
「それがどうした。他者を呪うことを赦す理由には足らんな」
「……だからって、殺さなくても」
「今さら何を言ってもどうにもなるまい」

 脹相くんはそう言うと、誰もいない駐車場の奥に黒瞳を投げる。

「そう拗ねるな。俺はお前に感謝している」

 抑揚に欠けた無感情な声音に呼応するように、黒く塗り潰された闇がもぞもぞと蠢いた。昆虫じみた複眼を持つ多足の獣。人々の畏敬によって“祟り神”の輪郭を得た異形の化け物が、アスファルトの上を這いずり廻る。淡い天井灯に照らされて、生ぬるい朱が鈍く反射していた。

 わたしの呪力を喰らい続けるそれに視線を置いたまま、脹相くんが他人事のように続ける。

「悧巧だな。懸命に宿主を護っている」
「……ただの装置だよ。呪詛返しの」
「にしては些か感情的すぎるようだが」
「……ちょっと失敗しただけ」

 諦め悪く言い訳をこぼせば、脹相くんは「そうだな」と軽く頷いた。

「しかし次はない。心臓をくれてやったのだろう」
「うっ……痛いところを……」
「上手く懐柔するんだな」
「言われなくても……」

 わたしは下半身に力を入れて、ゆっくりと立ち上がった。蠢く闇に向かって「ごめんね」と告げた。異形の呪霊は不協和音で嘶くと、巨体を屈めてわたしの腰に複眼を擦り付ける。大きな頭を撫でながら、人間だったころの名残りすらない肉塊を眺めやった。

「……ひどいことをした」
「本音は?」

 問われたわたしは脹相くんを見上げる。そして、歯を見せて朗らかに笑ってみせた。

「ざまあみろ!」

2021.09.04