脹相との出会い(仮)

 生まれて初めてナンパしたのだと言うと、脹相くんは決まって満更でもない顔をする。そして、わたしにたっぷり口付けた後で必ずこう言うのだ。「後にも先にも俺だけだったと言わせたい」と。



* * *




「なんで脹相と付き合おうと思ったの?消去法?」
「消去法って。あんまりな言い草だね」

 わたしが小さく噴き出せば、恋人の弟である悠仁くんは不服そうに眉根を寄せる。情報収集のために操作していたスマホを脇に置いたわたしは、深い傷痕の残るかんばせを見つめた。まだ幼さの残るそれに疑念を滲ませ、悠仁くんがすぐに続ける。

「だって受肉体だぜ?かなり強いし顔も悪くないと思うけど、相当ぶっ飛んだ性格してるしさ。わざわざそんな奴にしなくても」
「言いたいことはわかるよ?」
さんって実は人間嫌い?それとも浮世離れしたヤバい男が好きとか?」
「脹相くん、ああ見えてすごく優しいひとだよ」
「でもさん限定じゃん」
「うん、知ってる。ますます好きになっちゃうよね」

 茶目っ気たっぷりに笑ってみせると、「じゃあ告白って脹相から?」と悠仁くんが矢継ぎ早に尋ねる。脹相くんが偵察に出掛けて早数分。恋仲である彼とわたしのあれやそれは、このちょっとした隙間時間を埋める手頃な話題として、ちょうどいいのだろう。

 ひとたびわたしが張った結界から一歩外に出れば、無数の呪霊が容赦なく襲い掛かってくる。平和だったはずの東京はもはや見る影もなく、未だ混沌の渦に突き落とされたままだ。

 終わりの見えない話題を口にするほど悠仁くんは子どもではなかったし、わたしだってこの状況に責任を感じる悠仁くんの胸中に想像が及ばないわけでもなかった。凡人のわたしにできることと言えば、昨日知り合ったばかりの悠仁くんとの仲を深め、彼の兄を自称する脹相くんの機嫌を良くすることくらいだろう。

 そのためなら、わたしのつまらない恋バナのひとつやふたつ、喜んで差し出そう。真偽はさておき悠仁くんは脹相くんの弟なのだ、家族相手に何を暴露したところで強く嗜められることもあるまい。そう結論付けて、わたしは悠仁くんの質問にかぶりを振って答えた。

「ううん、違うよ」
「嘘?!さんからなの?!」
「そんなに驚くようなことかなぁ」
「なんていうか、全然想像できねーからさ」
「逆に考えてみて。彼、わたしみたいな平凡な女に告白するようなひとに見える?」
「……それ言われたらさ、ふたりの出会いから気になるんだけど」

 悠仁くんは難しい顔をした。わたしは「悠仁くんの想像より普通だよ」と保険じみた前置きをして、脹相くんとの出会いを遡る。

「十月に入ってしばらく経った頃だったかな。仕事帰り、渋谷駅でうろうろしてる脹相くんを見つけたんだ。脹相くんが混血の受肉体なのは一目でわかった。ちょっと嫌な予感がしたし、関われば途方もない何かに巻き込まれることも本能的に知ってた。でも、何だかものすごく気になって、今を逃したら一生後悔するような気がして、勇気を振り絞って声を掛けてみた」
「人助けっていうよりナンパ?」
「そう、人生初のね。でも脹相くんは怖い顔でこっちを睨むだけで何も答えてくれなくて、わたしは平謝りして立ち去るしかなかった。それが脹相くんとの出会い」
「それで終わり?じゃあ次はいつ会ったの?」
「次はね――」
「翌日だ」

 感情の薄い、ひどく平板的な声音が耳朶を打った。偵察を終えて戻ってきた脹相くんに「おかえり」と笑みを向ければ、「随分楽しそうな話をしているな」と嫌味からかけ離れた響きが返ってくる。

 ただの惚気話に発展する未来を予知したのだろう、悠仁くんはどこか複雑な視線を寄越したけれど、脹相くんが話を切り上げるはずもない。わたしの隣に腰を下ろすや、感情に乏しいかんばせのまま、滔々と語り始めた。

「妙な恰好だ何だと男に絡まれ、目障りだから殺そうとしたらに止められた。都心は高専から近く、優秀な術師が派遣される場合がほとんど。下手に残穢を残せば確実に足取りを掴まれるからやめておけ、と。俺はの忠告を飲んだ」
「お前にしては素直だな。計画に支障が出ることを危惧したとか?」
「それもあるが、が俺の居場所を突き当てたことが気になった」

 悠仁くんが不思議な顔でわたしを見つめた。わたしはポケットから三角錐型の小さな水晶を取り出してみせる。

「何その呪物」
「ペンデュラムだよ。ダウジングって知ってる?放射探知法とも言うんだけどね。わたしが憧れてる漫画のキャラの言葉を借りるなら、“日本で言うこっくりさんみたいなもの”かな」
「俺の知ってる漫画?」
「阿弥陀流奥義!真空仏陀切り!」
「知らない。何それ」
「じゃあ憑依合体とかO.S.って言ってもきっとわかんないよね。今度五条くんに訊いてみて?絶対知ってると思うから」

 とはいえ、当の五条くんは行方知れずなのだが。悠仁くんの表情に影が落ちたのも一瞬のことで、何事もなかったかのように話を続ける。

「なんで脹相を探してたの?会いたいから?」
「うん。脹相くんに会った日の夜、渋谷が消えてなくなる夢を見たんだ。こりゃいかんと思って探し廻ったんだよ」
さんって術師じゃないよね?」
は産女に呪われている」
「うぶめ」
「産褥で死んだ女の妖怪、それを模した特級呪霊だ」


2021.08.09