家入硝子との距離

※百合夢です。苦手な方はご注意ください。










 きっと、想いは届かない。百万光年離れたところに彼女の心は存在していて、生きているうちには届かない。きっと、わたしが死んでしまったって届かないだろう。

 彼女と付き合ったところで、それは変わらない。

 家入硝子というたったひとりの女の子のことが、好きで好きで、どうしようもなく好きだ。華奢な躯体に透き通った白い肌、深淵を溶かしたような黒髪。聞けば、反転術式をこともなげに使用する天才だという。

 わたしにないものを全て持っている彼女に眩暈がした。恰好だけは優等生、素行は最悪な彼女だけれど、そういうところが好きなのだ。彼女の内側は、きっと想像もつかない色で溢れていると思ったから。

 わたしは自分でも呆れるほど、家入硝子という女の子にハマってしまっていた。だからといって付き合いたいというわけではなかった。わたしにとって彼女は聖域以外の何物でもなかったし、遠目に見られるだけで充分だった。彼女がこの世界で生きている、ただそれだけで良かった。

 しかしこの一方的な関係は何の前触れもなく変化する。掃除当番のわたしが廊下の掃除をしていると、「うわ、真面目」と後ろからやってきた彼女がわたしに初めて声をかけてくれたのだ。先輩が後輩に声をかけるのは普通のことだろうけれど、わたしは彼女に話しかけられるとは思ってもみなかった。呪術師を目指しているわけでもなく、親から厄介払いされて呪術高専に入学しただけの才能も向上心もないわたしに、彼女が興味を示すはずがないと思っていたのだ。

 声をかけられたわたしはまごついた。「あ」だとか「う」だとか、言葉にならない声が口からぽろぽろこぼれ落ちた。彼女は心底不思議そうに尋ねた。

「いっつも見てるけど、なんで?」
「……き、気持ち悪かったですよね、ごめんなさい」
「いや謝ってほしいんじゃなくて」
「えっと……そ、それは」

 しかしたったそれだけの会話で、ほとんど信仰のようなわたしの想いをいとも容易く見抜いた彼女は、「ふうん。じゃあ付き合う?」と首をひねった。わたしはポカンとなった。申し出を断る理由などこれっぽっちも存在しない。冗談かどうかも確かめる余裕もなく、わたしは何度も首を縦に振り続けた。

 付き合ったところで、彼女との距離は変わらない。百万光年離れている。今だって、そう。彼女はわたしを校舎の屋上から見下ろす。その華奢な手には、未成年が口にしてはいけないはずの、害をばらまく煙草が一本。

、おはよう」
「せ、先輩、また吸ってるんですか?!やめたほうがいいって言ったじゃないですか!」

 そう注意すれば、しかし彼女はわざとらしく煙草を吸ってみせる。ふうっと吐き出された煙は抜けるような青空に撹拌しながら消えていく。だから、だめだって言ってるでしょう。

「身体に悪いですよ!」
「うん、知ってるよ」
「……ああもう、今からそっち行きます!没収しますからね!」

 きっと想いは届かない。百万光年離れたところに彼女の心は存在している。だから、心の底からの心配も、彼女が想像している以上の彼女に対する熱い想いも、きっときっと届いていない。

 もし、全力で走ってみたらどうなるのだろう。息が切れるくらい本気で走ってみたら、彼女の心にほんの少しは近づけるのだろうか。

「じゃあ、三分。三分で来たら、もう今日は吸わないけど?」
「三分?!」

 右手で数字の三を表してみせる彼女。君には無理でしょう、そう言わんばかりの悪戯っぽい笑みを浮かべて。その笑顔に心臓を握り潰されそうになりながら、わたしは周りの目も気にせず大きな声で叫んだ。

「そこで待っててください!」

 わたしと彼女の距離は百万光年。眩暈がするほどの途方もない距離。けれど今ならたった三分で縮まる距離のような気がするから、わたしは息を短く吸って走り出す。


2020.7.19 お題箱より