「人混みは好かん」
ひどく険しい顔で呟いた脹相を引きずるようにして、わたしは近所の小さな神社までやってきた。つまり初詣である。いつもは閑散とした神社だが、正月だけは多くの参拝客でごった返している。それが元旦であれば尚更だった。
厚着をした老若男女が赤い鳥居を次々とくぐり抜けていく。参拝を目的とした長蛇の列を目にした脹相の表情はいつもよりどこか固い。肩がくっつくほど距離を縮めつつ、わたしは視線を持ち上げた。
「人がいっぱいだね」
「……」
「迷子にならないでね」
「………」
「あと、“苅祓”で一掃しようなんて考えないでね」
「…………チッ」
「舌打ちしないでくださーい」
神社で人殺しなど罰当たりにも程がある。
肩をすくめながら最後尾に並ぼうと歩き出したとき、脹相にするりと手を取られた。人混みといえども、行き交う人と人との僅かな隙間を縫って歩くほどではない。手を繋ぐ必要性があるかと問われれば、答えは“否”だろう。
人形めいた表情のまま、脹相がわたしの手を優しく握りしめた。
「迷子になると困る」
「脹相が?」
「もう一度言ってみろ」
「ごめんなさい」
せっかく新年を迎えたというのに、こんな下らないことで殺されるのはごめんだ。即座に謝罪したわたしに視線を送ると、脹相は無機質な声音で呆れたように言った。
「だらしない顔だな」
「うれしいの。誰かさんってば、なかなか手を繋いでくれないから」
唇を尖らせると、脹相は前を向いたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「そう珍しいことでもない」
「珍しいよ。激レアだよ。人混みに感謝してるくらいだよ」
「昨夜」
「……昨夜?」
「昨夜はの望み通り、手を繋いだまま抱い――」
「そうじゃなくてっ!出かけたときの話っ!」
前に並んでいたカップルが振り向くほど、大きな声を出してしまった。あまりの羞恥に顔を伏せた。頬がひどく熱くなっている。なんとなく気まずくて賽銭箱の前まで無言を貫いたし、無言をさして気にしない脹相はいつも通りの無表情で、わたしの汗ばんだ手を握ったままだった。
古びた賽銭箱に小銭を投げ入れ、祈りを捧げるために両手を合わせる。手のひらには脹相の温度がぼんやりと残っていて、なんだかちょっとむず痒い気持ちになった。
わたしより一足早く賽銭箱の前から移動していた脹相は、わたしが合流するとこちらを一瞥することなく来た道を戻っていった。もちろん、わたしの手を再び掴んで。
「何を願った」
特に興味もなさそうな口振りだったが、脹相が自ら進んで無駄話をしないことをわたしはよく知っている。ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、神様に願ったことを口にした。
「えっと、良い年になりますように」
「定義は」
「え?」
問い返すと、脹相は平板な声で答えた。
「定義が分からねば叶えようもない」
「……脹相が叶えてくれるの?」
「いるかどうかもわからん神に願うよりは確かだと思うが」
そういうものだろうかと思いつつ、わたしは小さく首をひねった。
「途方もないお願いだったらどうするの?」
「例えば」
「……そう言われると難しいけど」
脹相が困るような途方もないお願いについて考え始めたとき、わたしの指に骨張った指が絡んできた。顎を上げると、暮夜を溶かした瞳に促すような色が浮かんでいた。わたしは頬を緩めながら、手をぎゅっと握り返す。
「泣きたくなるくらい嫌なことがあっても、明日が来てほしくないくらい落ち込んでも」
死んだ魚のような黒瞳にわたしが映っている。今のわたしが神様に願うことなんて、たったひとつだけだった。
「脹相がずっと隣にいてくれたら、それだけで良い年だったって笑えるかな」
「そうか」
納得した様子で頷くと、脹相は抑揚のない響きで続けた。
「ならばの一年は良い年になる。必ず」
その言葉に口角が勝手に持ち上がる。鞠のように弾んだ声が唇からこぼれ落ちていく。
「ね、それって今年だけ?」
「だと思うか?」
ひどく素っ気ない言葉がどんな砂糖菓子よりもずっと甘く感じた。今年は絶対良い年になるし、去年よりも素敵な一年になるだろう。
容易く離れないほど深く絡んだ指が、きっとそれを証明してくれるはずだ。
2020.01.03
神に願うくらいなら