※性転換ネタ。何でも許せる方向けです。苦手な方はご注意ください。










「こんなこと、きっと一生に一回あるかないかだね」

 右手を大きく開いて、やけに明るい天井灯にかざす。皮膚は厚くて、ごつごつと骨ばっている。見慣れた手とはずいぶんとかけ離れてしまった。折り曲げた足の長さも、ベッドに腰かけている身体の重さも、何もかも。

 食い入るように見つめていると、隣から舌打ちが聞こえた。わたしの知っている舌打ちよりも、ずっとずっと高い音だった。ちょっと呆れながらそちらに視線を移動させる。人がひとり座れるほどの距離を空けて、ロングヘアの女の子がベッドに腰かけていた。

 墨を垂らし込んだ長い前髪の間から、死魚のように濁った黒瞳が覗いている。整った目鼻立ちは怒りを孕んで、ひどく近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 わたしは様変わりしてしまった手を伸ばす。“彼女”の指通りの良さそうな髪に向かって。案外すぐに“彼女”に触れられたことに驚いた。腕の長さもずいぶん変わってしまっている。

「もう、そんなにカリカリしないで。綺麗な顔が台なしだよ?」

 肩をすくめると、“彼女”が顔をしかめる。わたしの手が乱暴に払いのけられ、地べたを這うような響きが続く。

先輩のそのお気楽ぶり、本気で殴りたくなるんですけど」
「とっても可愛いよ、恵ちゃん」
「……殴ってもいいですか?」

 殴られるのは御免だ。大人しく手を引っ込めて、小さく首をかしげる。

「わたし、どう?男前になった?」
「いいえ全く」
「けっこういい線いってると思うんだけどなぁ」
「どこが」

 あっという間に一蹴されたわたしは苦笑いを浮かべる。恵より顔面偏差値は低いにしても、いつもの恵より背は高いし、優等生然とした雰囲気がけっこういい感じだと思ったのに。とはいえ、伊地知とのキャラ被りは否めないけれど。

 恵の華奢な手が固い握り拳を作った。

「あの呪詛師、次に会ったらぶっ殺してやる」
「捕まえたんだからもう許してあげればいいのに」

 呪術規定に背いた呪詛師を捕まえる簡単な任務のはずだった。しかしほんの一瞬の隙を突かれ、わたしたちはまとめて面妖な呪術をかけられてしまった。呪詛師によれば、これは“聖なる儀式”であるらしい。どの辺がそうなのかを問いただす前に、怒り狂った恵が呪詛師を締め上げてしまい、それ以上の情報は得られなかったけれど。

 性転換から一時間。硝子さんに時間が経てば戻る呪いだと言われたものの、悟には爆笑されるわ、真希や野薔薇たちには指をさされるわで、恋人である恵の機嫌は過去最悪といっても過言ではない状態だった。

 部屋に引きこもることを決めた恵はひどく苛立っている様子だけれど、こんなに面白いことに巻き込まれるなんて、そうそう起こるものではない。せっかくだから楽しめばいいのに。たぶんこんなことを言ったら、恵はまた怒りを露わにするのだろう。

 こういうとき、意外と根が真面目な恵とは感覚が合わないなと思う半面、逆にそれがひどく面白くてたまらない。だから恵といると全く飽きないのだ。「俺のこと、観察対象か何かだと思ってますよね」といつも文句を言われるけれど。

 それにしても、と恵の顔をじっと見つめる。本当に美少女になってしまった。元の顔立ちがいいからだろう。アイドルにだって女優にだって、モデルにだってなれそうだ。芸能事務所に写真を送り付けてやろうかという気にすらなる。こっそり写真を撮りたいものの、目聡い恵の隙を突くのは至難の業だろう。

 視線を顔面から下へ下へと落としていく。切れ長の吊り目がわたしを見つめ返した。

「また下らないこと考えてますよね?」
「このままセックスしたらどうなるんだろ」
「……は?」
「だからこのままセッ――」
「二回も言わなくていいです。一応確認しますけど、正気ですか?」
「うん、割と。案外楽しいかもしれないよ」

 ほら、お互いの気持ちがわかるかも。そう付け加えると、恵の眉間がきつく寄った。あ、堪忍袋の緒が切れそう。爆発しそうな苛立ちを痛いくらい肌で感じる。

 わたしが空いたスペースに手をつくと、その重みでベッドが軋む感じがした。嫌悪感で歪んだ恵の鼻先めがけて、自らの顔をぐっと近づける。

「駄目?ものは試しでさ」
「相変わらず狂ってますよね。その好奇心、もっと別のところに向けられないんですか?大好きな呪霊研究にでも注いだほうがいいと思いますよ」
「それは無理な相談かな。だって今一番興味があるのは女の子になった恵のことだから。ね、わたしの童貞もらってよ」
「はあ?何が楽しくて」
「恵」
「童貞とはしません」
「下手だから?」

 悪戯っぽく言いながら、恵の細いあごをすくう。頭を後ろに退かれるまえに、唇に噛みついてやった。弾力のある唇が心地よくてクセになりそうだ。

「わたしとしてよくなかったこと、一度でもあった?」
「何を偉そうに。俺がよくしてやってるんですけど。頭のおかしい先輩には伝わってなかったみたいですね」
「お、言ったな?」

 どこに出しても恥ずかしくない美少女になってしまった恵をそのまま押し倒すと、黒くて艶やかな髪がベッドに大きく広がった。

「なに調子に乗ってるんですか。童貞のくせに」

 とはいえ、本気で拒絶されないときは何をしても許されるときだということを、わたしは嫌というほど知っている。恵はわたしのことが好きだから、なんだかんだ言いつつ甘いのだ。きっと惚れた弱みというやつだろう。愛してるなんて甘い言葉は滅多に口にしないけれど、その分好意を態度で示してくれる。恵の素直じゃないところが、わたしは大好きだった。

 ぷつぷつと恵のシャツのボタンを外していると、

「へらへら笑って気持ち悪……」

と、ひどく不機嫌な呟きが鼓膜を震わせる。顔を背けた恵の顔をじっと覗き込んで、すかさず口を塞いだ。

「そんな気持ち悪い先輩が大好きなくせに」
「自意識過剰」
「恵、結構おっぱい大きいね」
「そりゃアンタよりは」
「うっわ、傷つく」

 心にもない言葉を適当に言いながら、わたしは勢いよく噴きだした。普段よりもずっと低い声がわたしの口から漏れていて、なんだかそれがますますおかしい。壊れたようにけたけた笑いながら、無抵抗な恵から服を奪っていく。

「本当、ムードぶち壊しですよ」と呆れたように苦笑する恵の肌は柔らかくて、ひどく熱かった。


20191201
呪詛師の悪戯