みずみずしい深緑の中に、見知った背中をふたり分見つけた。実習を終えたばかりのわたしは、その片方に向かって小さな声をそうっと放り投げる。
「真希ちゃん」
呼びかけた声のトーンで察したらしい真希ちゃんは、くるりと体ごと振り返った。手には立派な薙刀が握られていて、呪術高専の広い演習場でパンダくんとふたり、いつものように訓練をしていたようだ。
わたしを見つめた真希ちゃんの顔には、ちょっと面倒臭そうな表情が浮かんでいる。どうやら、わたしの顔色ひとつですべてを見抜いてしまったらしい。
「おかえり。辛気臭い顔だなあ、まさか失敗したのか?」
と、にやり意地悪く笑う真希ちゃん。最初から核心をついてこなかったのは絶対わざとだ。わたしは首を小さく横にふった。
「ううん」
「だったら棘とケンカか。めずらしいこともあるもんだな」
「……だって、棘くんが悪い」
目を伏せながら言うと、真希ちゃんはカラッと明るい声で尋ねてくる。
「でもそう思ってねぇだろ?」
その通りだった。だから話を聞いてもらおうと思って、こうしてここまでやってきたのだ。真希ちゃんの隣にいるパンダくんが、そうっと優しく触れるように問いかける。
「今日の実習、棘とふたりだったよな?」
「うん」
うなずいたわたしは、ぽつぽつと説明をした。
実習として言い渡された任務は、準一級の呪いを一体祓うことだった。準一級術師の資格を持つ棘くんとともに、二級術師のわたしは指示された場所におもむいた。今回わたしはオマケだった。「準一級の呪いにもそろそろ慣れないと」という五条先生の指示で、棘くんのうしろをくっつくように任務に向かった。
事前に教えてもらった情報では準一級が一体という話だったのに、その一体は準一級の呪いが二体くっついた呪霊で、攻撃によって分裂してしまった相手に想定外の苦戦を強いられたのだった。
「棘くんが強めの呪言を何度も使って、そのせいで何度も血を……それも、たくさん吐いちゃって……棘くんはたいしたことないって顔してたけど、でも……」
思い返しながら下唇をかみしめる。棘くんは弱いわたしをかばいながら戦った。棘くんのおかげでなんとか祓うことはできたけれど、棘くんの声帯は深く傷つき、ひどいダミ声になってしまった。今は硝子先生のところで反転術式による治療を受けている真っ最中だ。
「棘くん、わたしになにもさせてくれなかった。準一級はまだわたしの手に負えないのはわかってるよ。でも、棘くんのサポートならうまくできたはずなのに……それすら、させてもらえなくて。逃げろって呪言まで使われて」
「――で、ケンカになったわけか」
真希ちゃんの言葉に小さくうなずく。真希ちゃんとパンダくんがふたり揃って長いため息を吐きだした。弱いわたしのせいだと責められることも覚悟していたのに、
「それは棘が悪い」
と、真希ちゃんとパンダくんが見事に声を揃えた。苛立ちを隠すことなく表にだす真希ちゃんのかかとが、地面を何度も強く踏みつけた。
「棘のやつ!はなにもできねェ足手まといじゃねえぞ!この私が毎日ちゃんと鍛えてやってんだ、過保護がすぎる!」
「でもなァ……棘の気持ちもわかるからなァ……」
パンダくんはしみじみ言うと、わたしに目を向けた。
「この件は間違いなく棘が悪いよ。でもな、。複雑な男心をわかってやってくれよ。好きな女の子は絶対に守りたいし、どれだけピンチでもカッコつけたいもんなんだ」
「わたしのこと信用してないの?」
「そうじゃない。が傷つくところを見たくないんだよ」
その言葉にカチンときてしまう。棘くんに言ったことと似たようなことを、わたしはパンダくんに向かって勢い任せに言い放った。
「わたしだって棘くんが怪我するところを見たくない。いつも棘くんばっかり怪我するんだよ?わたしも棘くんを守りたい。そのために強くなろうって頑張ってるんだもん。好きな男の子を守りたい女心もわかってほしいよ」
ムキになって声を張る。パンダくんが頬をぽりぽりと掻いた。
「の気持ちもわかるけどさァ……」
「パンダお前どっちの味方だよ」
ジト目でパンダくんをにらみつけた真希ちゃんは、わたしのほうに一歩大きく踏みだした。真希ちゃんの指がわたしの鼻をぎゅっとつまんだ。痛みとともに、鼻呼吸から口呼吸に切り替わる。
「真希ちゃん、痛いです」
「お前たちがいちゃいちゃしてねェと、こっちの調子が狂うんだよ。バカップル」
真希ちゃんは怖いくらいの笑顔で言った。
「棘には私がよーく言い聞かせてくる。パンダはを頼んだぞ」
「オッケー」
「ったく」と言いながら医務室へ向かった真希ちゃんの背中を見つめて、わたしはぽつんとつぶやいた。
「……真希ちゃんのお説教かあ」
「絶対いやだな。怖いし、正論だし、逃げ場がない」
同意をするみたいにこくこく首をふって、ふと思いだしたことを尋ねた。
「わたしと棘くん、そんなにいちゃいちゃしてる?」
「自覚ないのかよ!いちゃいちゃしてる、すっげーいちゃいちゃしてる!」
「うっ」
「それは別にいいんだ。真希の言う通り、お前たちが仲良くしてないほうが調子が狂うし、いちゃいちゃしてるほうが俺としてもうれしいし」
「うれしい?」
「うん。棘はの前ではいつだって優しい顔で笑ってるよ。ものすごく幸せそうにさ」
パンダくんが朗らかに笑う。
「棘が傷だらけになっても守りたい“幸せ”がなんだろうな。それはわかってやってくれよ」
「……うん」
真希ちゃんがわたしたちのもとへ戻ってきたあと、わたしは医務室へ向かった。硝子先生の姿はなくて、ひどく静まり返った医務室で棘くんとふたり見つめ合う。
なにを言われたのかはわからないけれど、帰り支度をしていた棘くんの雰囲気はずいぶんと柔らかくなっていた。わたしと言い合いになったときとは大違いだ。きっと真希ちゃんにこっぴどく叱られたのだろう。
「棘くん、さっきはごめんなさい。きつく言いすぎたと思う。かばってくれて、ありがとう」
ぼそぼそと切りだすと、棘くんは首を左右にふった。反論されるまえに、わたしはすぐに口を開いた。
「棘くんが安心して背中を預けられるような呪術師になるから、もうちょっとまっててね」
「……おかか」
「ダメ。棘くんだけが傷つくのはいやだよ。絶対に強くなって、棘くんを守りたい。ちゃんと一緒に戦えるようになりたい。だから――」
言葉をさえぎるように抱きしめられて、ちょっとびっくりした。「こんぶ」という謝罪の語彙が聞こえて、ますます強く抱きすくめられる。わたしは棘くんの背中に腕を回しながら、何度か目を瞬かせた。
「もう怒ってないよ。でも、えっと、こういうことはもっと人のいないところで……」
「おかかっ」
「だって見られてるから。ほら、五条先生とか五条先生とか五条先生とか……」
五条先生はけっこう目聡いのだ。校内でいい雰囲気になるとわざとらしく現れたり、突然楽器を演奏し始めたり、あとから冷やかしてきたり、ちょっと面倒なのだ。きっと今もどこかで見ているに違いない。
棘くんだってそのことは知っているはずなのに、今日はちっともお願いをきいてくれない。「棘くん」と名前を呼んで抗議しても無駄だった。たぶん、棘くんなりの仲直りのつもりで、言葉代わりの精一杯の愛情表現なのだと思う。わたしのことを身をていして守ってくれた大好きな人に、そうっと頬をよせる。
もうなんでもいいか。
やっぱりと言うべきか、そのあと五条先生にはたっぷり冷やかされてしまった。熱くなった顔を両手で覆うわたしを見て、棘くんがいたずらっぽく笑う。この笑顔のためならもっと強くなれる。そう思いながら、わたしは五条先生に文句を言った。
20190912
ぼくらの可愛い意地っ張り