※カクリヨの番外編ですが、本編未読でも問題なく読んで頂けます。










 ずっと、だれかにとっての脇役だった。

 たとえばだれかの人生が映画になったとして、終わりを美しく結ぶエンドロールに、僕の名前はいつまでも経っても流れてこないだろう。僕の名前は付け合わせのパセリみたいに最後にまとめて小さく載るか、もしくはエキストラ扱いで名前すら載ることがないはずだ。

 それが僕自身の人生を映した映画だとしても、その事実はきっと変わらない。つまらない僕の役柄では、チープなB級映画すら制作できないから。

 だれかの人生において、“吉野順平”が主役級の役柄を与えられることはありえない。わかっていても夢を見てしまうのは、僕が本物の脇役だからだろう。

 一度でいいから主役に――できることなら、“王子様”になりたかった。

 だって、はずっと“お姫様”だったから。

「シンデレラはどうして魔法使いを選ばなかったんだろう。頑張りを見ていてくれたのは魔法使いなのにね」

 その答えはお姫様であるが一番よく知っているだろう。どれだけ魔法使いが気にかけたって、お姫様は王子様を選ぶ運命なのだ。どんなお姫様だろうと一生涯の相手に魔法使いは選ばないし、どこにでもいる平凡な村人と結ばれることはない。

 運命の相手は決まって王子様だ。が一度だって僕を見てくれたことがないように、お姫様は脇役のことなど眼中にないのだから。

 生まれたときからずっと、はお姫様だった。

 どこか陰のあるは、決して王道のお姫様ではなかった。けれどそこが魅力だったし、完璧に見えるでも、なにかが“欠けている”という事実が周りの人間に親近感を与えた。完全な満月よりも、欠けた三日月がさまざまな題材として扱われるみたいに。

 僕はそんなお姫様とともに大きくなった。

 僕の母親との母親は古くからの親友だった。その繋がりで、僕とは生まれたころから親交があった。分厚いアルバムには母さんと映った写真よりも、とのツーショット写真のほうがずっと多い。母さんが東京の実家に戻るまで――つまり僕が中学生になるまで、とずっと一緒に過ごしてきた。

 だれとでも仲良くなれるは小さい頃から人の輪の中心にいたし、内向的だった僕の手を引いて笑顔で走り回っていた。

 楽しかった。ずっとの後ろをついて歩いていた。でも、自我の発達とともに複雑な感情が芽生え始めて、すべてが変わってしまった。

 それが何歳のときだったかは覚えていない。けれど、ひどく寒い日のことだったと記憶している。保育園で母親の迎えを待っているとき、顔を真っ赤にしたに腕を引っぱられ、小さな声で耳打ちされたのだ。

「じゅんぺー、じゅんぺー」
「なに?」
「あのね、きょうね、あっくんにちゅーされちゃった」

 あまりのことにびっくりして、気づいたら声をあげて泣いていた。はおろおろして、「じゅんぺーもちゅーしてほしかった?」と首をかしげると、僕の頬にキスをしようとした。

 僕は泣きながらそれを拒んで、迎えがくるまでわけもわからず泣きじゃくった。も一緒になって泣いていたような気がする。

 鼻水をすする僕の手を引く母さんは理由を聞くなり、大口を開けて爆笑した。

「アンタはのことが好きなのよ。ちっちゃいのにちゃんと男だったのねぇ」

 “好き”の行き着く先が“結婚”であることは、幼いながらに理解していた。が好きだということに気づいた僕は、今でも驚いてしまうほどの大胆な行動にでた。

「ぼくとけっこんして!」
「じゅんぺーと?」
「うん!ぜったい、ぜったいしあわせにするから!」
「えーどうしよっかなー」

 はもったいぶるように身体を揺らして笑ったけれど、僕はと結婚するつもりでいた。けっこう本気だった。いや、かなり。

 確か母さんにも言ったし、おばさんにも言った。親であるふたりが口を揃えて「いいんじゃない?」と言うから、僕はあっさりと真に受けた。

 けれど、が特定の男児と遊ぶ回数が増えるようになって、僕ととの認識のズレに気づいた。そこからは坂道を転がり落ちるみたいに、現実を思い知った。

 僕は選ばれなかったのだ、と。

 そいつはお山の大将みたいな奴で、僕がと遊んでいる最中でも、平気で割りこんできての手を奪っていった。気の弱い僕は見ているだけでなにもできなかったし、文句を言おうものなら突き飛ばされた。の手を繋ぎとめておくことは、できなかった。

「なかよくしようよ」と声を荒げるは、根っからのお姫様だった。だからの前でだけはお山の大将は僕に優しくしたし、馬鹿なはコロッと騙された。

 僕はふたりの脇役だった。そのとき吉野順平は主役に――王子様になれない人間なのだということを、小学生になる前に悟ったのだ。

 その事実は年を重ねるごとに重みを増していった。にもかかわらず、脇役の僕がお姫様のを諦めきれなかったのは、が男とまったく長続きしなかったせいだろう。

 チャンスがあるのではないかと、夢を見てしまった。いつか僕に順番が回ってくるんじゃないか、最後の最後にどんでん返しが待っているんじゃないか、と。

 期待を抱くには充分だった。だってこれが映画だったら、絶対結ばれる最後でエンドロールに切り替わるに決まっているから。

 東京に引っ越してからも、馬鹿な夢を思い描き続けた。SNSにアップされるの日常を見つめて、そこに僕がいる妄想を延々と膨らませた。会わないうちに大人の女性へと変わっていくにドギマギしながら。

「せっかく来てくれたのにごめんね。、起き上がれないらしくて」

 半年前の正月。の家に母さんと新年の挨拶に行くと、はベッドで小さくうめいていた。

「大丈夫?インフルエンザとか?」
「ううん……病気じゃないんだけど」

 のその一言で原因を察した僕は、初詣に向かった大人ふたりを見送って、のそばにいることを選んだ。

「ご飯は?」
「食べてない……」
「食べたいものとかない?」
「ない、けど」
「けど?」
「そばにいて。どこにも行かないで」

 弱々しい甘えた声に舞い上がりそうになって、すぐに冷静さを呼び戻す。ひどいお願いだと心の中でなじった。は僕の制止なんて聞かないで、勝手にどこかへ行くくせに。平気で別の男を選ぶくせに。

「わかった」

 間断なくうなずいてしまう自分に呆れながら、のベッドの脇に腰を落とす。

「手、繋いでくれる?」
「今日の、子どもみたいだ」
「ダメ?」
「そんなわけないよ」
「ありがとう」

 痛みに顔をしかめるの手は冷たい。少しでも温かくなればと、もう片方の手も重ねれば、が嬉しそうに笑った。

「順平って本当に優しいよね。泣いちゃう。女の子に理解があるのはポイント高いよ」
「母さんとふたりっきりだから、多少はね」
「どうして彼女いないのか不思議なくらい」
「そうかな」
「彼女作らないの?」

 会うたびに訊かれている気がする。苛立ちを覚えるほどの無神経さだ。がいるから身動きが取れないことに、どうして気づかないのだろう。

「全然モテないから」と答えながら、狭い部屋の引き戸に貼りつけられている写真を見つめる。と彼氏のツーショット写真だった。脇役の自分が何度も夢を見た仲睦まじいカップルの姿が、残酷なまでに克明に写しだされている。

 僕が主役だったなら、軽薄そうな男の代わりに映っているのは僕だったのだろうか。

「好きな人もいないの?」
「いないよ」
「じゃあ、好きなタイプは?」
「えっ……うーん、映画好きの人?」
「趣味が一緒だと楽しいもんね」
は?」
「そうだなあ……」

 しばらく天井を見つめたあと、は指を折りながら言った。

「優しくて、」

 自分で言うのもなんだけど、には一番優しくしてるよ。少しでもこっちを見てほしくて。あわよくば好かれたくて。さっき僕のことを優しいって言ったけどさ、相手がだから優しくしてるってことに気づいてるのかな。

「顔が好みで、」

 が俳優の刀祢樹みたいな、シュッとした顔が好きなことはもちろん知ってる。でも僕が年末にひどい暴力を受けたとき、“順平の顔は好みなの。今度傷つけたらタダじゃおかない”って変な怒り方してたこと、ちゃんと覚えてるから。

「わたしのワガママも笑って許してくれて、」

 の子どもっぽいワガママも、女王様みたいな無茶ぶりも全部可愛いよ。ごくごくたまにイラつくときもあるけど、まあそれも含めて愛ってことにしてよ。ていうか、それは優しいに入らないの?

「お金に困ってなくて、」

 のそういう現実的なところ、嫌いじゃない。小学校の遠足に持っていくお菓子を一個選ぶのに、死ぬほど悩んでたっけ。みたいに偏差値の高い高校には入れなかったけどさ、ふつうに暮らしていけるだけの仕事には就くよ。子どもだって育てられるくらいの余裕は持てるようにするから。だから。

「なにがあってもわたしを見捨てない人」

 僕が一度でもを見捨てたことがあった?

 ぬくもりが移ったの華奢な手を握りしめる。いつの間にか、僕の手のほうがずっと大きくなっている。

 守られるだけの存在ではなくなっても、脇役である幼馴染は運命の相手に選ばれない。僕がを選んでも、が選ぶのは僕ではない。

 それはきっと、僕が白いウェディングドレスを着たに「おめでとう」と笑いかけるだけの、ちっぽけな端役だからだろう。

 それでも僕は馬鹿な夢を見続けた。いつか僕に順番が回ってくることを信じて。神様が主役の座を与えてくれることに期待して。

 見続ける――つもりだったのに。

「順平、に新しい彼氏ができたの知ってた?」

 母さんにそう問いかけられて、僕は冷蔵庫を開けたまま振り向いた。飲み物を取りだすことも忘れて、冷蔵庫の扉を閉める。

「知ってる。けど、どんな奴かは全然」

 四月頃からぱったりと連絡が途絶えていたは、先月末になってようやく僕に連絡を返すようになっていた。おばさんから“不登校になった”と聞いたときは、自分のことを棚にあげて心配した。学校に行く代わりに映画館に通う日々を送っていた僕は、に会いに行こうとしたほどだった。

 久しぶりに連絡を寄越してきたは開口一番、「彼氏できたよ!」と言った。一時は眠れなくなるほど心配した僕の気持ちと時間を返せ。

「今日お見舞い行ってきたんだけどさー」
「おばさんの?」
「そうそう。の彼氏がお見舞いに来てるんだって。しかもけっこう頻繁に、には内緒で。今度こそひょっとして、ひょっとするかもよ?」
「わかんないよ。前の彼氏のときだって紹介されたって言ったくせに、確かその次の月には別れてただろ」
「アンタ、のことになると記憶力抜群よね」
「うるさい」

 にやにやとした顔で僕を見つめる母さんの視線から逃れようとしたのに、ひけらかすようにスマホを突きだされた。

「順平見て。この子だって。口元隠れてるけど、綺麗な顔してるわよ?」

 気にならないと言ったらウソになる。目を凝らしてみたものの、照明の加減もあって、ここからだと画面がはっきりと見えない。

 どうせまた別れるのだからと思いつつ、母さんのもとへ歩み寄った。

「ほらほら」
「見えないって」

 左右に揺れるスマホを奪いとって、思わず目を瞬かせた。

 同い年くらいの男が映っていた。おばさんが撮ったのだろう。見ているだけで暑くなりそうな黒いネックウォーマーで口元を隠しながら、眠そうな目元にぎこちない笑みを溜めている。

「……なんか、違う」
「違う?」
「今までの彼氏と、タイプが」
「え、そう?どの辺が?」

 それ以上は言葉にならなかった。スマホを投げるように返すと、階段を駆けのぼって部屋に飛びこんだ。扉を後ろ手で閉めて、その場にずるずると膝から崩れ落ちる。

 直感だった。僕は“運命”を見てしまった。

 僕はこれから死ぬまで一生、に選ばれることはない。

 視界の解像度が一気に落ちて、目から生ぬるい液体が溢れていた。のどの奥から小さなうめき声がせりあがる。そこに妙な酸っぱさが含まれていることを感じ取り、慌ててゴミ箱を引き寄せた。胃に残っていたものがすべて、ゴミ箱の底に流れ落ちていく。

 ゴミ箱に顔をうずめて泣いた。身体が震えていた。他になにもいらないから、だけは僕に――神様にすがりついても、もう遅い。もっと早く脇役に徹しておけばよかった。馬鹿な夢など見ることなく。

「途中からでてきたくせに。なんで。なんでだよ」

 だれと付き合ってもいい。だれと結婚してもいい。けれどできることならその相手は、僕が絶対に勝てないような相手にしてほしい。逆立ちしたって天変地異が起こったって、絶対に敵わないような。夢を見るわずかな隙間すら与えられないような、完璧な王子様にしてほしい。

 そうでなければ、途中から割りこんできた奴に、を掠め取られる事実を受け入れられそうにない。

 ねえ、。そいつは僕が絶対敵わない男だよね?

「順平」

 部屋の扉を優しくノックする音がする。ますます涙が溢れて、唇が面白いくらいに震える。

「なに」
「アンタさ、笑っちゃうくらい報われないね」
「……そんなんじゃないって」

 大きな画面が暗転して、エンドロールが映しだされる。

 次は主役になれるような人生がいい。今売れてるバンドの馬鹿みたいに明るい恋愛ソングが後ろで流れだすような、わかりやすい内容でいい。つまらなくても全然構わない。だれも不幸にならないし変な事件だって起こりやしない、ありふれた平凡な幸せを描いた物語がいい。

 エンドロールに真っ先に流れる名前は、僕。その次が。もちろん逆でもいいし、どちらかの名前が最後の最後に流れるのも悪くない。母さんとおばさんは特別出演にしておこう。

 たとえ幼馴染という特別な繋がりがなくても、僕たちは必ず出会って恋に落ちるのだ。運命の相手として。

 たまにちょっとケンカもするけど、たいてい笑い合っている画が映る。つまらない日常に一部の観客が眠り始めるだろう。それでいい。終盤には死ぬまでずっと一緒にいることを誓い合ったりして、観客にもっと明るい未来を想像させる。そこに意味があるから。

 一番の盛り上がりはもちろん、との結婚式だろう。

 感極まって泣く王子様に、笑顔のお姫様がキスをする。そういう最後がいい。

 今度こそは、絶対に。


20190604
エンドロールは君と