生まれ変わっても君のもの

「よし。これで全員初期化完了」

 一様に床に倒れ込んだ信者たちを目でなぞりながら、腰に手を当てた女が満足げに胸を張る。味気ないコンクリートの壁に沿って立つ七海建人は、信者たちの集会所である地下室の中央で笑みを浮かべる女に向かってゆっくりと歩き出した。

 ビルの崩壊から数分。そのたった数分の間に避難者と信者、およそ百人足らずをひとり残らず気絶させたのは七海であり、気絶した人間全員の脳へ干渉し“教祖夏油傑への信仰心”を破壊し尽くしたのは女だった。

 七海は女の術式の詳細を知らない。一度尋ねたことはあるものの、「術式開示なんて手の内を晒すようなことしないよ?そういうの主義じゃないの」と苦い顔をされた。

 とはいえ今までの経験から、七海はその術式を“あらゆる電気を操る術式”だと予想している。電気には電荷や電磁波なども含まれる。おそらく七海の予想が正解だろう。

 女はうつ伏せに倒れたふたりの男女を見下ろした。年齢は共に二十代後半だろうか。汚れひとつない白の着物姿の男女に視線を落としたまま、どこか感情に欠けた声音で言葉を続ける。

「二度とあの子たちを悲しませないようにセキュリティソフトは組み込んだし、もし次に同じようなことが起きても“干渉”してきた相手の脳に厄介なマルウェアが走るよう小細工もした。でも絶対じゃない。この人たちの持ってる良心を信じるしかない」

 そこで言葉を切ると、女は膝を折ってしゃがみ込んだ。女が保護した子どもたちの両親と思わしきふたりの頭を順番に撫で付ける。

「今度はちゃんと愛してあげてね」

 倒れた信者たちを避けるようにして、七海は女の正面に立った。慈愛に満ちた笑みを刻む女を見つめながら、七海は愛しい女の名を呼ぶ。

さん」
「建人くんお疲れ様。急に真剣な顔してどうしたの?わたし何かしちゃった?」

 不思議そうに見上げた女が小首を傾げると、七海はやや間を空けて口を開いた。

「私と結婚してくださいと、今日改めてそう言おうと思っていました。一生幸せにします、温かい家庭を一緒に築いてください――そう言って貴女にプロポーズするつもりでした」
「……うん」
「しかしこの言葉が貴女を縛る呪いになるなら、その程度ではあまりにも生ぬるい。誰よりも自由な貴女には到底相応しくない。だから、すみません、言葉を変えます」

 七海はジャケットのポケットから小さな箱を取り出した。その場にしゃがみ込んだままの女にそれを差し出しながら、真摯な眼差しで明朗に告げる。

「私をさんの最後の男にして頂けませんか。その権利を得るために、私は今ここで貴女にプロポーズします」

 女は何度か目を瞬くと、膝を伸ばしてゆっくりと立ち上がる。

「こんなところでプロポーズされるとは思わなかったよ」
「こんなところでなければ本音を話さないでしょう、貴女は。ここなら私の記憶を改竄できる条件が嫌というほど揃っているはずですから」
「そんなことしないのに」
「でも条件が揃っているから多少は安心して話すことができる。違いますか?」
「……はい、わたしの負けです。建人くんには敵わないなぁ」

 どこか落ち着かない様子で首筋を触りつつ、女は愛想笑いにも似たぎこちない笑みを浮かべた。

「あのね、わたしは建人くんの運命じゃないよ」

 その言葉はどんな言葉よりも深々と七海の胸を穿った。七海から視線を逸らすことなく、女はぽつぽつと小さな声を継ぐ。

「あなたにはもっと相応しい女の子がいる。わたしよりもずっと優しくて可愛くて健気な、もっと守り甲斐のある普通の女の子。きっと、わたしといるより百倍幸せだよ。だって運命の女の子だから」
「だから何ですか。運命なんて在りもしない理由で諦めるとでも思いましたか。私がさんが――」
「もう。建人くん、お願いだから最後まで聞いて?」

 間断なく差し込まれた七海の反論に、女は不満たっぷりに唇を尖らせる。七海が口を結んだことを確認すると、羞恥を振り切るように息を吸い込んだ。七海だけを映す双眸に覚悟が灯る。

「わたしは運命じゃないけど、でも、建人くんが死ぬときに“七海が運命だった”って言ってもらえる努力はする。いっぱい、いっぱいいっぱい努力する。それくらい建人くんが好き。世界で一番大好きだよ。わたしはあなたを絶対に手放したくない。手放さない。そのための努力は絶対に惜しまない、そう約束する」

 真摯な声音で懸命に言葉を尽くした女は、その場で深々と頭を下げた。

「だからわたしを建人くんの最後の女にしてください。よろしくお願いします」

 七海は深く息を吸い込み、そしてゆっくりと肺に溜まった空気を吐き出した。「頭を上げてください」と静かに言うと、女の細い手を取ってその薬指に婚約指輪を通していく。ひとり舞い上がって買ってしまった指輪は、しかしながら女の薬指にぴったりと馴染んでいる。

 念願叶って己のところへやってきた婚約指輪が堪らなく愛しいのだろう、女は子どものようにきらきらと目を輝かせた。その幸せそうな様子に緊張した表情筋をやや緩ませ、七海はもう一度確認のために問いかける。

「……貴女は本当に私が最後の男で良いんですか?」
「もちろん。お腹の子に誓って」

 指輪の付いた手で腹を優しく撫でる女を七海は強く抱きしめた。「建人くん?」と不思議そうに名を呼ぶ女を抱きすくめながら、一気に噴き出した言葉をそのまま並べ立てていく。

「そのことですがどうして黙っていたんですか。いえ、子どもを授かったことを責めているわけではなく……驚きはしましたが本当にうれしく思っています。とても幸せです、嘘ではありません。ただ、その……さんひとりで病院に行ったんでしょう。不安だったと思います、付き添いもできずすみません。何も言ってくれなかったのは、私が以前“子どもは苦手だ”と言ったからですか。それほど甲斐性なしに見えていたのなら私に大きな非がありますが――」
「建人くん待って。早とちりしないで」

 自責と不満でぐちゃぐちゃになっている七海を抱きしめ返すと、女はどんな悪魔よりも無邪気に笑ってみせた。

「黙ってたほうが面白いかなって」
「……は?面白い?」
「そうそう。普通にびっくりさせたかっただけだよ」

 途方もない疲労感に襲われた七海は長いため息を吐いた。女のことだ、どうせ役所で「サプライズ!」とか何とか言って母子手帳を見せびらかす算段だったのだろう。とはいえ、その思惑は全てタロットカードに奪われてしまったわけだが。

「……普通にびっくりしました」
「じゃあ作戦大成功だね!」

 弾んだ声を上げる女を名残惜しむように解放すると、七海は倒れた信者たちに視線を送る。ビル一棟を破壊した言い訳を考えつつ、伊地知へ連絡するためにスマホを取り出す。女は己の手を七海の空いた手と絡めて、幸福に満ちた笑みを結んだ。

「早く引越し準備しなくちゃね」
「そうですね。頑張ってください」
「建人くん冷たくない?わたしがずっと黙ってたから?」
「違います。私の家に置いているさんの私物、私よりも圧倒的に多いんですよ。私の家なのにおかしいでしょう。整理が進まないので早くどうにかしてください」
「嘘っ?!そんなことあるっ?!」
「そんなことあるんですよ、帰ったらその目でよく確認してみてください。クローゼット、私のスペースほとんどないですから。誰かさんの洋服と鞄と靴でいっぱいです」
「うっ、ごめんなさい……どうして何も言わなかったの?」

 七海は女の手を握り返しながら、照れ隠しをするように明後日の方向を見つめた。

「貴女の日常がすぐ近くにあることが、本当にうれしかったので」


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