愛には変化がつきもので

「じゃあ予定通り建人くんは下から、わたしは上から。人数は多いけど呪力の漏れ方から見て一般人がほとんど。持ってる武器は拳銃と警棒、サバイバルナイフ、スタンガン。夏油くんたちから適当に支給されただけかなぁ、扱いに慣れてない素人さんばかりって感じ。苦戦するなんてこと、絶対にないと思うよ」

 七海建人は鼓膜を震わせる滑らかな声音に安堵した。呪術による戦闘が可能な人材のほとんどは新宿や京都に割かれているらしい。女が無茶をする可能性が低くなったのなら七海としては何も言うことはない。

 目星を付けた支部は街中のビル一棟を丸ごと借り上げていた。突入前の雰囲気に酔いたいだけだろう、太い電柱の影に隠れて支部の様子を窺う女を七海は視線だけで見下ろす。新宿に呪霊が湧いた瞬間、予定通り混乱に乗じるように抜け出してきたのだが、一抹の不安がどうしても拭い切れないでいた。

「……大丈夫でしょうか」
「乙骨くんも五条くんもいるから大丈夫だよ。それに乙骨くんは今日の星占い堂々の第一位、対して夏油くんは残念ながら最下位。わたしの占い、結構当たるって評判だよ?」
「“結構”ではなく“かなり”の間違いでしょう、予約が一年待ちの売れっ子占い師さん。高専で働き始めてから予約がますます取れないと新田さんが嘆いていましたよ」
「えっ、明ちゃん占ってほしいの?職員室にいるときならいつでも占うのに。タダで」

 女はあっけらかんと告げた。驚くような大金を払っている顧客からすれば許しがたい一言だろう。七海が呆れていると、女は困った様子で話題を戻す。

「それにしても意外と特級多いなぁ。夏油くんも本気だね」
「今どこまで視てるんですか」
「どこって新宿と京都だけど。他にどこ視るの?」

 不思議そうに尋ねられた七海は肩をすくめた。女の“空間認識”が局地的な能力ではないことを知る七海はもう何も言わなかった。何かと実力を隠したがる女にしては珍しく本気を出しているらしい。

 女は小さなショルダーバッグから古びたタロットカードを取り出すと、その場で複数のカードを見事な手捌きで切り始めた。カードが擦れ合う耳障りの良い音が響き渡る。

「さてと、ちょっと景気づけに売れっ子占い師さんが建人くんを特別に占ってさしあげます。好きなところで“ストップ”って言ってくださーい」

 七海は素直に指示に従い、数秒後「ストップ」と言った。女は手を止めて、右手に掴んでいたカードの束を左手の束の下にそっと押し込んだ。

 タロットカードの裏面には複雑な幾何学模様が印刷されている。裏面からでは全く上下のわからぬそれを示しながら、「どっちが気になる?」と女が尋ねる。

 七海がカードの天地を決めなければならなかった。それが女の占い方だった。視線を動かし、すぐに「ではこちらで」と気になったほうを指差す。女は七海が決めたカードの向きに従い、勿体ぶるような仕草で丁寧にそれを捲ってみせた。

「“女帝”の正位置!今日の建人くんのラッキーパーソンは“女帝”です!」
「……“女帝”?“女教皇”ではなく?」

 七海は思わず眉をひそめた。女と任務を共にするとき、七海は必ずと言っていいほど“女教皇”のカードを引く。七海にとってそのカードがというたったひとりの存在を示しているからだ。

「ということはさんではなく別の女性ですか?」
「ううん、わたしだよ」

 かぶりを振った女はタロットカードをバッグに仕舞い込んだ。再び視線をビルへ戻しながら、事もなげに言葉を継ぐ。

「お腹に赤ちゃんいるから“女帝”で合ってるよ」
「……………………はい?」
「あ、どうしよう。バレちゃった」

 しかしその茶目っぽい言葉は七海に対して告げられたものではなかった。ビルの玄関扉から戦闘員らしき男が出てくる。

「電信柱の影に隠れて様子を窺うぜ作戦は失敗だったか。くっ」と女はひどく演技めいた台詞を吐いていたが、そもそもそんなことをせずとも女ならばたとえ沖縄にいても様子を窺うことが可能だったろうし、正直に言って七海はそれどころではなかった。

「……すみませんさん、もう一度良いですか?私の聞き間違いでなければ赤ちゃ――」
「ごめん、わたし先に行くね!また後で!怪我しないでねー!」
「待ってください話はまだ終わっていません!さん!さんっ!」

 七海の制止を振り切ってビルへ駆け出していった女の背があっという間に小さくなる。戦闘員の男が女に銃を向けるより早く、何故か男は突然気を失ったようにその場に転倒した。それと同時に女の身体が宙に浮く。重力を忘れたように浮かび上がる痩躯から視線を外すと、七海は足早にビルへ侵入した。

「今すぐ投降してください。今日ばかりは本当に急いでいますので抵抗するなら一般人といえど容赦はしません」

 開口一番、淀みなく警告を告げた七海を銃口の群れが見つめている。七海は四方八方から向けられる銃器に顔色ひとつ変えなかった。とはいえ、これが全て呪霊だったなら多少なりとも肝が冷えただろうが。

「ひとりか?」

 分厚い防弾チョッキを着込んだ男が一歩前に出た。構えた拳銃の撃鉄を起こしながら、七海の周囲に鋭い視線を這わせていく。

「女がいただろ。どこへ行った」
「奇遇ですね。私も彼女を探しています」

 抑揚のない口調で言った七海がすぐに訝しげに眉根を寄せる。次の瞬間、激しい横揺れが床を襲った。地鳴りのような轟音と共に、床材がうねり窓がひび割れる。七海を囲んでいた男たちの顔が揃って驚愕に染まっていた。

「じ、地震?!」
「……まずいですね」

 天井から降り注ぐ細かな漆喰を一瞥するや、七海は男に視線を戻して口早に告げた。

「地下に続く通路はどこですか。信者が集まっている地下です。そこならきっと安全でしょう。死にたくないなら直ちに避難してください」
「避難って……」

 揺れはなおも続いている。落ちた漆喰のせいで視界が白く濁り始めていた。七海は躊躇う男たちを呆れたように睨み付ける。

「おそらく上にいた人間が運悪く“塔”を引きました。この建物、一分以内に崩れますよ」
「く、崩れるっ?!塔って一体何の話だ?!」
「説明している暇はありません。まだ死にたくないでしょう。さぁ早く」

 急かされた男たちは慌てふためきながら地下への避難を開始する。その後に続きながら、七海はスマホを素早く操作し女に電話をかけた。

さん、言われた通り扉を開きましたよ。それから先ほどの件ですが――って、もう切れてる……」


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