微熱じゃなくて恋だった

「本当に強い奴ってのはさ、表舞台には滅多に出て来ないもんなんだよね」
「はあ」

 先輩呪術師の偉ぶった言葉に適当で気のない相槌を返しつつ、七海建人はひと気のない駅の改札口を足早に通り抜けた。視界に広がる世界は白く彩られており、吹き付ける風がひどく冷たい。

 久方ぶりの地方出張で適度な息抜きが出来ることを期待していたのに、当日になって先輩呪術師が同行する話が持ち上がったのは七海としては予想外だった。ましてやその相手が上司であり先輩である五条悟ともなれば、嫌でも気が滅入るというものだろう。

「圧倒的な強者だからこそ誰かと競って争う必要もなければ、努力して強くなる必要もない。弱い奴に都合良く“チカラ”を利用されることを本能的に知ってるから、“チカラ”を隠してパンピーのフリをしながらのうのうと生きてる。能ある鷹は何とやらって言うでしょ。あ、先に言っておくけど僕は別だよ?僕は隠し切れないほど強いからこうやって表で活動してるわけ。そこんとこ、はき違えないでよね」
「……はあ」

 冗長な口弁を話半分で聞きながら、七海は今回の任務の詳細を思い出していた。

 両手で到底数え切れぬほどの呪術規定に反した重罪の呪詛師を捕らえたはいいものの、呪詛師は口を堅く閉ざしており一向に状況が変わらない。話が全く進まないことに焦れた上層部に対し、五条が“どんな奴が相手だろうと絶対に秘密を喋らせる奴を知っている”などと全く余計なことを言い出したのである。

 つまり、今回の地方出張の目的は人探しだ。主に隣で高説を垂れ流す五条悟のせいである。

 呪詛師を捕らえたのが七海でなければ、面倒な人探しに割り当てられることもなかっただろう。自分の悪運に頭が痛くなりそうだった。五条の話が途切れた瞬間を見計らって、七海は疑問を滑り込ませた。

「五条さんがそこまで認めるほどの実力者が、こんな地方の人材派遣会社に?」
「まぁね。って言っても、本人は呪術師じゃなくて占い師を名乗ってるけどさ」
「……占い師」

 薄っすらと降り積もった雪を踏みしめつつ、さらに質問を重ねる。

「その占い師というのは、先日別れたと言っていた五条さんの元恋人のことですか?」

 足を止めた五条は露骨なほど嫌悪感を顔に滲ませると、小さく肩をすくめてみせた。

「……お前さ、そういう勘は鋭いよね」
「五条さんがわかりやすいんですよ。他人を手放しで褒めちぎるからこうして雪が降っているのでは?」
「好きな女貶すとかフツーあり得ないでしょ」

 七海の指摘に五条は軽くかぶりを振って、再び歩き出した。一歩遅れて後に続く七海が話を元に戻す。

「しかし本当に大丈夫なんですか?その占い師は自ら望んで呪術界から遠ざかっている人間でしょう。高専の頼みを易々と聞き入れるとは到底思えませんが」
「ああ、それなら大丈夫。アイツは二つ返事で聞き入れるよ。何せ件の呪詛師は身寄りのない子どもばっか殺して喰ってた食人鬼だぜ?洗いざらい吐かせる前にアイツにぶっ殺される可能性もあるっての」
「その方、そんなに子どもが好きなんですか?」
「いや、ちょっと違うかな。いつかわかるよ。まぁ七海がそこまで仲良くなれたらの話だけど」
「本当に未練がましいですね。そういうところが別れを切り出された原因では?」
「うるせー黙ってろ」

 強い語調で吐き捨てた五条は、迷う様子もなく駅前の雑居ビルに歩を進める。ずいぶんと年季の入った五階建ての雑居ビルにエレベーターはない。五条は軽やかな足取りでところどころ塗装の剥がれた階段を上っていった。

「アポは?」
「取ってない。ていうか取れるわけないよ、僕まだ着拒されてるし」
「着拒って……一体その方に何したんですか……」
「まぁ色々あるでしょ、結婚とかそういう話になったらさ」
「はあ……本当にその方に会えるんですか?大丈夫なんですよね?」
「平気平気。僕たちが駅についた時点でもう“視えてる”から」
「……千里眼?」
「まさか。アイツの呪術はもっと科学的だよ」

 そう言って軽薄な笑みを結んだ五条のつま先が三階の床を踏む。階段から最も近い扉の前に立つと、派遣会社らしき社名が浮かぶ安っぽいそれをゆっくりと押し開けた。

 お世辞にも広いとは言えない室内にいたのは、壮年の男と若い女だった。デスクに座る男が五条に向かって軽く会釈する。スーツ姿の女は白い封筒を手にしたまま首を傾げた。

「五条くん、急にどうしたの?」
「今日給料日だろ。ここに来れば会えると思って」

 身なりの整った女は五条に向かって歩き出した。どこか演技めいた笑顔を浮かべながら。

「仕事の話?それとも別の話?」
「もちろん仕事の話。出来れば別の話もその後したいんだけど」
「そっか。じゃあ仕事の話だけね」

 にっこりと笑みを深めた女は五条など眼中にもない様子だった。かつて恋人同士だったとは思えぬほどの冷たさを孕んでいる。やり直す余地など微塵もないということだろう。

 胸の内で五条に同情していると、「五条くんの後輩さんですか?」と優しく問いかけられる。屈託ない笑顔で見つめられた七海はやや間を置いてから、小さく唇を割った。

「……準一級術師の、七海建人です」
「初めまして、です。こちらの派遣会社で占い師として働いています」

 丁寧な所作で深々と頭を下げた女は、姿勢を正すや滑らかに言葉を続けた。

「人が信じるものを壊すのが、わたしの仕事です」


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