クリスマスプレゼントを君に
「いつもより心拍数があがってる。顔もちょっと赤いし……なんかあった?」
耳から聴診器を外した家入先生が、すこしだけ心配そうな顔をしていた。間を置くことなく、わたしは首を横にふる。
「今からケーキを買いに行くんです」
「……へえ。それってクリスマスの?」
「はい。きっとすごく楽しみなんだと思います」
精一杯ごまかしたつもりだったのに、家入先生はため息をひとつこぼした。
「そう……狗巻とね」
ぎくっとわたしの肩があがる。
「けっこうわかりやすいよ」
言いながら、家入先生がふっと表情をゆるめた。ぐっと喉で息が詰まる。うなだれるように足元に目を落とした。
「知ってます。狗巻くんにも気づかれてるので……」
「あれ、そうなんだ。付き合ってないの?」
「……わたしから言わなくちゃ、きっとなにも変わらないと思います」
「変える必要がある?友達じゃダメなんだ?」
「それだけじゃ、もう満足できなくて」
わたしは両手を合わせて、親指を唇にくっつけた。
たしかに、変える必要なんてどこにもないのかもしれない。それでもわたしは立派な口実がほしかった。好きなだけ狗巻くんのそばにいるための、正当な理由が。
狗巻くんともっとたくさん話したい。狗巻くんとの時間がもっともっとほしい。一緒にどこかへ出かけたいし、手も繋ぎたいし、抱きしめたい。それから、キスがしたい。もちろん、そういうことだって―――したい。
祈るみたいなポーズのまま、視線だけを家入先生に送る。
「一緒にいるだけでいい……なんて、ちっとも思えなくて。強欲ですよね」
「べつに変なことじゃないよ、呪術師なんてみんなそんなものだから。やさしいだけじゃ呪いには勝てない。強い気持ちがなければ、殺されるのはこちらだ」
背中をなでるような言葉を噛みしめる。家入先生がわたしに笑みを向けていた。やわらかい笑みに見とれてしまう。
「うまくいくといいね」
「え?」
「せっかくのクリスマスだし。まあ、昨日はアレだったけどさ」
うなずきながら、わたしは笑みを返した。
うまくいく可能性は、ゼロではない。むしろ可能性は充分にあると考えてもいいだろう。
たぶん、狗巻くんはわたしのことが好きだから。うぬぼれではないはずだ。だって、狗巻くんはいつだってわたしを見ている。それほど成績がよくないわたしの補習に付き合ってくれたり、前髪を切ったことにすぐ気づいてくれたり、わたしによく話しかけてくれる。それほど多くないおにぎりの具で、コミュニケーションを取ろうとしてくれる。
なにより、狗巻くんはわたしによく笑顔を見せてくれるのだ。それはきっと好意からだと思う。たとえ恋より淡い感情だったとしても、わたしを悪く思っていないのはたしかだろう。
でも、だからといって、付き合ってくれるかどうかは正直なところ未知数だった。狗巻くんは呪言師の末裔で、ただ呪いが見えるだけのわたしよりずっとずっと特別な存在だ。そこまでわたしに踏み入らせてくれるかなんて、蓋を開けてみなければわからない。
イスからすっくと立ちあがる。制服を整えたあと、カルテに文字を走らせている家入先生に問いかけてみた。
「振られたらなぐさめてくれますか?」
「さあ?それはどうだろう」
「家入先生らしい答えで安心しました」
わたしが声を殺して笑うと、家入先生はのっぺりとした無表情で言った。
「次は乙骨だな。呼んできて」
「はい」
医務室の扉に手をかけたとき、「
」とふいに呼ばれた。ぱっと振り返る。家入先生が軽く手をふっていた。
「いつもみたいに笑ってろ。そうしたらきっと、振られやしないから」
その言葉に小さくうなずいて、意識的に笑みを作る。廊下を進むわたしの足は、ひどく急いていた。
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狗巻くんと合流したわたしは、電車を乗り継ぎながら百貨店へと向かっていた。百貨店の地下であれば、ケーキを取り扱うお店の数もケーキの種類も豊富で選び放題だから。
混雑した電車のつり革につかまりながら、隣に並び立つ狗巻くんに小さな声で謝る。
「面倒事に付き合わせちゃってごめんね」
「おかか」
首を横にふる狗巻くんの口元は、改造された学ランですっぽりと覆われている。けれど、いつもと比べるとちょっと不足している。なんだか物足りない。今わたしの目の前にいるのは、見慣れた狗巻くんではなかった。
「いつものネックウォーマーは?」
「ツナ」
「あ、そっか。血だらけだったもんね」
狗巻くんはわたしの言葉に小さくうなずいた。さすがに血のついたネックウォーマーを身につけてはこれなかったのだろう。反転術式を使ってもらったとはいえ、綺麗に戻ったのは肉体のみ、着ていた服はボロボロのままだった。制服は予備があったからよかったけれど、私物である小物類は買い替えるしかない。
頭の中でぱちぱちと音がした。とても素敵なことをひらめいた音だった。思わず笑みをこぼしてしまう。
「……しゃけ」
狗巻くんが不思議そうに首をかしげている。あわてて「なんでもないよ」と答えたけれど、真っ赤なウソだった。これ以上追及されることのないように、視線を狗巻くんから電車の広告に移動させる。
内心うきうきしているうちに、電車が目的地に到着した。百貨店に足を踏み入れたわたしは、半歩うしろをついてくる狗巻くんに問いかけた。
「ちょっとだけ寄り道してもいい?」
狗巻くんが「しゃけ」とうなずいてくれたので、メンズファッションフロアに迷いなく向かう。まだまだ寒い季節だし、クリスマスということもあって、どのお店にもプレゼントに最適な小物類が並んでいる。色も種類も充実していることに安堵する。
ようやく察した狗巻くんが「おかか」と首をふるけれど、わたしは聞こえないふりをしてネックウォーマーを物色する。
「どの色が似合うかな……」
わたしが呟いた瞬間、視界の端からぬっと手が伸びてきた。ベージュのネックウォーマーを手に取ろうとしていたわたしの手首が、狗巻くんによってやさしく掴まれる。
視線をやれば、狗巻くんは困った顔でぶんぶんと首をふっていた。想定内の反応だったから、それほど動揺はなかった。わたしはにっこりと笑う。
「クリスマスプレゼントだよ」
「おかか!」
「いいのいいの。夏油からかばってもらったお礼、まだできてないから」
狗巻くんはわたしの意識が途切れる瞬間まで、その身を挺してかばってくれたのだ。だから半殺しにされた四人の中ではもっとも軽傷で済んだし、乙骨くんの反転術式のおかげもあって傷痕もすっかり消えてなくなっている。
「おかか」
ムスっとした顔でしばらく否定の言葉を繰り返していたものの、わたしの意思が変わらないと悟ると、あきらめたように狗巻くんの手が離れていった。
お会計を済ませて、簡単にラッピングもしてもらった。中身はもうわかっているけれど、なにもないより特別感があっていいだろう。
狗巻くんはお店の外で、スマホを熱心に見つめていた。紙袋をそうっと差しだすと、スマホから視線が外れる。わたしはにっこりと笑ってみせた。
「いつもありがとう」
狗巻くんはすこしだけ目を見開いて、それから小さく首をふった。たいしたことはしていない、と言いたいのだと思う。そんなことはなかった。狗巻くんはいつだってわたしの味方で、いつだってわたしを守ってくれるから。
紙袋を受け取ってくれた狗巻くんとともに、ケーキ売り場のある地下に向かう。地下には食料品売り場もあるから、ついでにクリスマスチキンも手に入るはずだ。
とんとん、と肩をたたかれる。足をとめて振り返れば、狗巻くんの細くて長い指がお手洗いの案内板を指し示していた。「近くで待ってるね」と言うと、狗巻くんが首を横にふった。
「先に行ってていいの?」
「しゃけ」
「わかった。ちゃんと見つけてね」
狗巻くんに言われた通り、先にひとりで地下におりることにした。地下の食料品売り場はクリスマスのせいだろう、昼間だというのにたくさんの人でごった返している。この状況で合流するのは、きっと至難の業だった。
ワガママを言って、狗巻くんを待っていてもよかったのかもしれない。けれど、人の多いところにずっといるのは苦手だった。人が多くいる場所には呪いが生まれやすい。たくさんの呪いが見えるのは、あまり心地いいものではないから。
狗巻くんならわたしを見つけてくれるに違いない。先にクリスマスケーキの目星をつけておこうと思いながら、通る道もない食料品売り場をゆっくりと進んでいった。
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