01

「蔵の掃除なんて絶対俺たちの仕事じゃないって!漏瑚にやらせろよー!」
「漏瑚は畑で花御と芋を掘っている」
「あー俺も畑仕事のほうが良かった!サボれるし!」

 不満を撒き散らして喚く真人を横目に、脚立に乗った脹相は布の付いたはたきで蔵書に積もった埃を払い落としていた。指でなぞれば跡が残るほどの埃の山が不必要に飛び散らぬよう、できる限り丁寧な手付きで。

 扉や窓は全て開け放っているものの、日光もまともに差し込まないこの土蔵の構造上、舞い上がった埃の逃げ場はほとんどないに等しい。視界は薄っすらと白く濁り、電球の放つ橙色の光をきらきらと反射している。慣れない不織布マスクは息苦しいが、大量の埃を吸い込むよりはマシだろう。

 これほど埃が多いのは、ここで保管されているのが主に糸や反物であるせいだった。扉からほど近い場所には、出荷と加工を目前にした大量の生地が積み上げられている。大事な商売道具の保管場所がこんな有り様だとは思ってもみなかった。人手が足りないというのは本当のことなのだろう。

 視界を揺らめく年季の入った電球には、所々に黒い羽虫の死骸がこびりついている。脹相が拭き掃除を担当する真人に目を落とせば、じろりと睨め付けるような鋭い視線が返ってくる。

「なんで引き受けたわけ?」
が困っていた」
「だからって軽々しく頷くなよバカ!点数稼ぎか?!」
「胡坐をかけば愛想を尽かされかねん」

 はたきを持っていないほうの手を下に伸ばせば、目を点にした真人がおもむろに雑巾を手渡した。発光のために発生した高熱などさして気にする様子もなく、脹相は素手で電球を固定すると、羽虫を取り除くために濡れた雑巾でそれを拭いていく。

 顔に驚きを残したまま、真人は体重を預けるように脚立にもたれかかった。

「意外」
「何がだ」
「そこまで女に入れ込むタイプじゃないと思ってた。その感情ってやっぱり人間の生殖本能によるもの?」

 返答の代わりに汚れた雑巾を突き返せば、「うわ汚ねっ」と小さな悲鳴が上がった。

 埃を落とす作業に戻りつつ、ここ数日の夜の記憶を辿る。名を呼びながら自らの下で善がるの恍惚とした表情を思い出し、生殖本能以外の感情がそこにあることを確かめる。

「あれほどいい女が他にいるか?」
「はいはい惚気をどうもありがとう!もう脹相一人で掃除しろ!」

 雑巾を地面に叩き付けた真人は脹相に背を向け――すぐに首をひねった。

「何この箱」

 紙魚に喰い荒らされた古い蔵書の山の上に、造作もなく銀色の大きな缶が置かれている。

 雑誌よりも一回り小さい缶の蓋には花を模ったような装飾が施されており、おそらく菓子類か何かが詰め込まれていたのだろう。黄土色に錆びている箇所はあるものの、それほど古いもののようには見えなかった。

 加えてその缶の上にだけ埃はなく、埃だらけの蔵内では逆に不自然だった。強く興味を引かれた真人は缶を手に取ると、脚立をガタガタと力任せに揺らした。眉根を寄せた脹相に邪悪な笑みを向ける。

「ちょっと降りて来いよ」

 脹相が渋々といった様子で脚立から降りると、真人は腰の高さまである古い箪笥の上に缶を置いた。そして躊躇なくその蓋を開ける。

 中に入っていたのは、缶をびっしりと埋め尽くすほどの封筒の山だった。

「手紙?」
「そのようだな」
「コレ絶対ラブレターだよ」
「ら……」
「恋文だよ。こ、い、ぶ、み」
「何故そう思う」
「だってコレ、どう考えても脹相に見られたくなくて、わざわざ家から移動させたものだろ?好きな男に見られたくないものって言ったら、他の男からの贈り物って相場は決まってんだよ」

 自信満々に予想を開陳した真人を一瞥し、無表情を崩すことなく脹相は封筒の山に手を伸ばした。白い画用紙で手作りしたような歪な封筒を選び取ると、封のないそれから折り畳まれた便箋を引っ張り出す。

「勝手に読むのはどうかと思うけど?」
「平仮名ばかりだな」
「無視かよ」

 真人は抑揚のない声に肩をすくめた後、すぐに便箋に書かれた文字に目を滑らせた。白い紙を埋め尽くすように、たどたどしい平仮名が並んでいる。

「えーっと、なになに?……“だいすきです。ぼくとけっこんして、ぼくのおよめさんになってください。せかいでいちばんすきです。”…………は?」

 白い紙の最下部に記されたその名に、真人は色違いの目を剥いた。

「“げとうすぐるより”?!」

 驚愕する真人に手紙を押し付けると、脹相は別の封筒を掴んだ。淀みなく便箋を取り出すと、光らない瞳が先ほどと同様に便箋をなぞっていく。それは平仮名ばかりではない上に、文字も細かく、便箋の枚数も増えていた。

 玩具でも見つけたように唇を吊り上げた真人は、確認するようにまた別の封筒を手に取った。桜をあしらった淡い桃色のそれには、同色の便箋が使用されている。几帳面さを伺わせる文字で丁寧に綴られた言葉を朗々と読み上げていく。

「“今朝、制服が届きました。サイズもぴったりです。忙しいのに我儘を聞いてくれて本当にありがとう。来週からとうとう呪術高専生になります。の授業はたしか呪霊生態学だったよね。テストは絶対に満点を取るのでそのつもりで。夏油傑”……そっちは?」
「“バレンタインありがとう。義理だとしてもとても嬉しかったです。大したものではないけど、もし良かったら使って下さい。いつか必ずに相応しい男になります。夏油傑”」

 深い夜に似た視線を上げた脹相に、茶目っぽい笑みが向けられる。

「ははーん、なるほどね。手紙の内容はだいたい似通ってる。ってことは、この箱の手紙は全部――」
「ああ、おそらく」

 二人がひとつの結論を導き出したそのとき、蔵の中に低い声が響き渡った。

「全然進んでないじゃないか。遊んでないでちゃんと掃除してくれないかな?」

 姿を現した夏油は嘆息しながら足を進めると、己の顔を穴が開くほど凝視してくる男二人に怪訝な視線を寄越した。心底気味が悪いという本音を滲ませた声で問いかける。

「どうかした?」

 しかし二人が手にしている便箋に目を落とした瞬間、穏やかだった表情は一変する。引き攣るような驚愕の色が走ると、普段の落ち着いた態度からは考えられぬほど動揺した様子で唇を大きく開いた。

「なっ……どうしてっ?!」

 見事にひっくり返った声を放って、慌てふためきながら凄まじい速さで便箋を奪い取った。青ざめる夏油を見つめる真人の顔には、意地の悪い下卑た笑みが浮かんでいる。

「見ぃーちゃった」
「……最悪だよ」
「ラブレターなんて古臭いことするじゃん」
「黙れ」

 険しい顔で奥歯を軋らせたのも束の間のことで、夏油は長いため息を吐くと封筒の山に目を滑らせた。口端には苦笑が刻まれている。

「……なんで捨てないんだろうな」

 憂いを帯びた声音が呆れたような言葉を紡ぐと、脹相はその精悍な眉を寄せた。聞き直さずとも、その響きには一言では語り尽くせない複雑な感情が含まれていることはすぐにわかった。

 一片の光も浮かばない黒い双眸が恋文の山をなぞる。が脹相の目に触れさせまいとした理由は、何もその内容が理由ではないのだろう。そこに付随する数多の記憶――つまり夏油との思い出が脹相の前に晒されることを恐れたのだ。

 疑問を覚えたのは真人も同じようだった。だが脹相が問いを口にするより早く、真人が言葉を紡いでいる。

「そういや俺、夏油との関係って詳しく聞いてないんだけど」
「言いたくないと言ったら?」
「包み隠さず全て話せ」

 間断なく平板な声が差し込まれるや否や、噴き出すのを堪えた真人が脹相を顎でしゃくる。

「言わないと脹相がキレるかもよ」
「うーん、それは怖いな」

 心にもないことを呟きながら肩をすくめると、夏油は静かに缶の蓋を閉める。一重目蓋の下の細い瞳を伏せたまま、ひどく穏やかな声音で滑らかに告げる。

は私の師だよ」

 記憶を引き寄せるその顔には、幸福を溶かし込んだ微笑が浮かんでいた。

「師?……呪術の師匠ってこと?」
「そう。幼い私に呪術が何たるかを教えたのは、他でもないだからね」